戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年12月18日 
(昭和20年)
会議名
諮詢会協議会 1945年12月18日 目録詳細 画像を見る
議事録
諮詢会協議会 〔社会事業・市制変更・産業・他〕

  十二月十八日(火)午后二時。
  出席  志喜屋、又吉、松岡、前門、平田、仲宗根、大宜見、糸数、安谷屋、比嘉、護得久、仲村、當山の諸委員。
  公用他出 山城委員、病欠知花委員。
協議事項
 中央倉庫より第二世二人来り曰く。
  諮詢会は吾々に何とも云わずに人事を異動をして居る。
  人夫一〇人連れて来いと云ふと事務員六人で人夫は四人しか連れて来ない。
 仲宗根委員
  人事については中央倉庫と相談によってやって居るので私が勝手にして居るのではない。
  中央倉庫の係とよく話合って見る。
 又吉委員
  安里、比嘉、高良三氏を紹介す。
 志喜屋委員長
  軍政府(ワッキンス少佐)サインの役職員に対する被服払下書を中央倉庫で係人が粉失したことを明日ワッキンス少佐にお話しますか。
 全委員
  お話した方がよい。
 仲宗根委員
  社会事業部中央部員会協議報告。
  協議は主として事務打合せであった。
  瀬嵩市はマラリヤが多く死亡者も多い。早く移動させて貰いたい。
  知念出身の住民が元の自分の住地(知念)への移動が遅いが、其理由を明日の連絡会で話して貰いたい。
  与論島に大東島から沖縄住民が五〇〇人程渡って来て居るが(上陸前)之を早く本島に帰へして貰いたい。
  田井等市武内氏からの書面を朗読す。要旨は、軍当局も食糧問題に対し協力すとのことであった。
 大宜見委員
  軍政府機構の「住民基本食糧配給に関する件」の日本文に翻訳せし刷物を配布す。
 松岡委員
  屋嘉収容所に居る佐保氏の妻よりの陳情書を読む。
  要旨は佐保氏は一九四四年七月応召入隊せしため妻子は既に他府県疎開せし者と思ひ、収容所より妻子疎開地へ行くべく考へであったが、妻子が沖縄に居るから沖縄に居住したいとの事を妻より陳情す。
 志喜屋委員長
  其妻子に会って事情を聴取して其如何によっては沖縄に居させては如何?
 松岡委員
  其妻に私が会ってよく事情を聴取します。
 前門委員
  平安座市長よりの市制変更の書面を読む。
 仲宗根委員
  辺土名よりの市制変更の書面を読む。
 又吉委員
  平安座・辺土名の市制変更に対し応答す。
  例へば先日、カールドウェル大尉とハセ中尉が来て田井等市長を何と名称するか問はれた時、私は事務長と云ったら如何と答へたら両人共賛成して居た。又カールドウェル大尉は委員に元の市町村制に還元する中間機構を話して居たが、其案は秘密にする様にと云はれたが、結局秘密を遵守して居た事が軍政府では既に実行に移して居るのであるから有りの儘に話した方がよいではなからうか。
 又吉委員
  慶良間から親泊、大城両氏が来て居たが同島には本島民が居るが帰へりたいから諮詢会を通じて帰へす様陳情して貰いたいとの事であった。
 當山委員
  文化中央部員協議会報告。
  芸人を石川に置くか、又は前原に置くか。
  青年団婦人会等の組織をやった方がよいと。
 比嘉委員
  石川市や国頭方面の現在の若い男女の風俗紊乱等を語り之を指導するに誰が当るか。之を指導するには団体を組織して自戒せしめる様文化部でやって貰いたい。
 松岡委員
  今日までの青年団の欠点を例挙し、若し青年団を組織するなら米国の様に有能者の希望者を組織して其に依って研究指導させる。
 大宜見委員
  沖縄に現在社会的制裁がなかったが之を昔の社会的制裁を作って行ったら如何。
 志喜屋委員長
  青年団組織については未だ結論を得て居ないとのことで軍政府には報告しましたら如何。
 比嘉委員
  産業課長会議の報告。
  土地は以前調査したよりも広大に潰されて居る。
  農具不足の件。
  農鍛冶を奨励して居るが南部では松炭がないから北部方面の炭と物資との交換の件。
  稲種子は漢那に一五〇石、久志に五〇石あるが之も物々交換の件。
  肥料は野菜に必要な分のみしか米国より輸入は出来ない。
  元農林学校の二、三年生を名護試験場で約八〇人実習させる。来月十五日から開校する予定である。
 松岡委員
  工場は既設工場を使用すべく明日陳情したら如何。
  工作隊の工場も譲り受けることを陳情す。
 仲宗根委員
  知花委員の仕事を私が見ることにしますが明日軍政府に了解を求められたら如何。
 志喜屋委員長
  提出物の名義は知花委員の名を以てする様にしたら如何。
  (全委員、然りである)
 松岡委員
  人夫貰ふ時幹事の証明書が必要であることを労務所長より注意があった。
 仲村委員
  諮詢会と警察学校生との座談会を来る土曜日に開きたいことを明日軍政府の了解を得る事。
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