戦後初期会議録

組織名
沖縄諮詢会
開催日
1945年12月01日 
(昭和20年)
会議名
軍民協議会 1945年12月1日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民協議会 〔移動・食糧〕

  十二月一日(土)午前九時。
  出席  志喜屋、護得久、又吉、仲村、前門、平田、比嘉、知花、仲宗根、糸数の諸委員。
  公用他出 大宜見、松岡、山城、安谷屋(商工部打合)諸委員。
  軍政府 カールドウェル大尉臨席。
協議事項
 軍政府
  十二月中の行事許可の件。
  社会事業部の各市課長会議及仝中央部員会。
  庶務課長会議開催許可となる。
 軍政府
  ストリート少佐は近々帰米の由、カールドウェル大尉より通達す。
 志喜屋委員
  辺土名の食糧事情を申し上げたい。
  全地区よりも食糧難に陥って居る、市長よりもさう来てゐます。
 軍政府
  田井等、辺土名は食糧不充分であったが係将校に云って手配をさせた。
 志喜屋委員長
  一般の集団移動とは切離して辺土名地区は優先的に移動させて貰いたい。
 軍政府
  何所に移動するか。
 志喜屋委員長
  首里・那覇は知念・糸満の両地区に、読谷山・北谷・浦添・宜野湾は中頭に移動させたい。
 軍政府
  係将校に話して返事をする。
 委員長
  首都は具志川に委員皆の意見が一致しましたからストリート少佐に可然お伝へ下さい。
  日本に疎開した沖縄人が帰へれることを喜んでゐる。ウルマ新聞には鹿児島のみとあるが其外熊本・宮崎・大分等は帰へれないかどうか。
 軍政府
  鹿児島の事も初耳であり其外は尚更の事である。

  (午后一時半再会)
  公用他出 松岡、山城の両委員。
  軍政府 ストリート少佐臨席。
 ストリート少佐帰米の挨拶をなす。
 大宜見委員
  辺土名地区の保健衛生につき報告す。
  栄養不良の死亡とは山中で不良になって回復困難のためである。
  陳情文は誇張の感がある。
  衛生状態は良好である。野菜類は豊富である。
  要するに配給機構を沖縄人の手に移すにある。

 明後三日午后五時より当事務所に於てストリート少佐送別会。
上へ戻る