- 組織名
- 沖縄諮詢会
- 開催日
- 1945年11月30日
(昭和20年)
- 会議名
- 諮詢会協議会 1945年11月30日
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- 議事録
- 諮詢会協議会 〔食糧・越境者〕
十一月三十日(金)午前九時。
出席 志喜屋、又吉、前門、糸数、平田、仲宗根、知花、安谷屋、比嘉、當山、護得久大宜見の諸委員。
公用他出 山城、松岡、仲村の諸委員。
協議事項
知花委員
辺土名の事情調査報告。
食糧配給の状態。
市会より陳情書を十一月三日に隊長に提出した。
十一月八日より米の配給少々ありしも仝月十八日以後今日迄で全然配給なし。
死亡率は子供・老人に多く、栄養不良診断多し。
辺土名市に居る疎開者の数は五、四五〇人。
噂の如く地元民と疎開者とは不和の様に思はれない。
軍作業もなく副産物もなく配給のみの生活である。
結局は移動を早くやるべきである。
仲宗根委員
移動すべき住民五、六九〇人。
十一月十八日以後は缶詰のみの配給。
農耕作米は平年通りの出来ばへ而し十日分の食糧にも足らず蘇鉄もなし。
保健衛生、十月十一日両月の死亡者三四〇人程多くは栄養不良、乳児、老人に多。
結局移動を促進する様願ひたい。
志喜屋委員長
陳情しませう。
比嘉・仲宗根両委員
那覇・首里は糸満地区に、北谷・読谷山・浦添・宜野湾は中頭に帰へす。
又吉委員
陳情文は仲宗根、知花両委員と比嘉秀平氏三氏に一任しましたら如何ですか。
(全委員賛成)
安谷屋委員
疎開者越境のため軍政府も移動を遅らす様だが何か疎開者に対し疎開先で諮詢会から呼びかける方法はないものでせうか。
護得久委員
委員長から文化部長に対し社会教育に対し方法を講ぜられたき旨の注意を促されたし。
比嘉委員
物探しの取締方法を講ぜられたし。
志喜屋委員長
昨日ストリート少佐と同伴で視察したが(具志川、泡瀬、バテン等)首都を決めて貰いたい。那覇や名護は考慮に入れるなと。
少佐は具志川、泡瀬特に泡瀬に注意して居る様であった。
護得久委員
軍政府と諮詢会とが接近して仕事のやりよい所がよいと思ふ。
仲村委員(具志川視察して帰へる)
具志川区の事務所で警察学校の事務を司って居る。
教育方面はプライス大尉で、経営はケイラ大尉である。
十二月十日開校予定である。
憲兵は軍民保護、巡査は民の保護に当って相提携するやうにと。
軍政本部への要請は校長―保安部長―軍政本部へと。
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