戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年11月16日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年11月16日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔米国帰還者・慶良間列島現況・博物館〕

  十一月十六日(火)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉局長(通)。
  軍政府 フライマス氏。
  記 録 嵩原情報課員。
  欠 席 津嘉山課長。
諮詢事項
 軍政府
  那覇税務署設置の件。
  敷地は許可するが、コンセットの資材は現今の所ない。
  軍経済部長より農務課宛、土地開拓に関する件。
  交通事故。
  行方不明漁夫に関する件。
  其後何の消息もなし。今後尚情報蒐集に力むとの電あり。
 ◎米国から帰還したP・W八十人の給料が届いて居る。住所・氏名不明であるから新聞其他の方法で調査されたい。
 ◎所持品を日本から取寄せたいと申請した者三人居るが、其申請書に署名する必要があるから出頭させられたい。
 ◎津堅島を土・日曜を除く外毎日五時三十分より八時三十分、十五時三十分から十八時三十分の間低空爆撃をやるから住民に注意を発せられたい。
 ◎金武村の安次富ハル子の兄安次富リョーコー氏が米国で死亡したが、其遺金として八十弗ハル子宛に送ってライカムに届いて居るから、身元証明持参の上受取る様軍政府に出頭せよと、軍総務部スミス氏より民総務部へ。
  慶良間列島現況。先般の台風に依り米約80%、甘藷約50%の被害があり、住民は他の何れの島よりも難しい状況にある。
  座間味村長の記録によれば過去六ヶ月間で配給食糧は米三ポンド、豆二ポンド、砂糖一ポンド、灯火油少量、メリケン粉一ポンド、薬品少量、衣類なし。右の品は台風後に配給。
  座間味村の人口は二〇七八人であるが、其中八二五名は十二才以下の子供。
  渡嘉敷村に於ても状況は略同じ。配給物資に関し調査を要望す。補給部其他と連絡の上善処されたい。
 ◎国際連合へ提出すべき報告書至急提出されたい。
 ◎リンベー氏(財産管理課)からの依頼。
  民政府財産管理課に一週間一、二度でも良いからヂープを使用させて貰いたい。
 ◎八重山調査派遣に関する件。
  通訳は不要。夜具は各自携帯。食糧の件は明日回答す。期間は滞在約十日、往復合算で三週間。
 志喜屋知事
  海運共進組合は知事管下に入るか否か。
 軍政府
  知事管下に置く様取計ふ。
  アルゼンチン行の大城テツゾー(二十一才)及び其妹に関する件。スエデン公使から旅券が来るのを待って居る。
 志喜屋知事
  東恩納の博物館付近の民家は所有者が其家に住まはせたいと申請して居るが良いでせうか。
 軍政府
  住んでよろしい。
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