戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年10月20日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年10月20日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔マック司令部に琉球局設置・予算〕

  十月二十日(水)午前十時
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉局長(通)、富名腰課長。
  軍政府 マーテン中佐(経済部長)。
諮詢事項
 軍政府
  民経済部では責任者は民政府構内に置き、事務は与儀試験場で執ると当間部長は云って来たが、それでよろしい――知事と協議の上ならと云った。
 ◎マ司令部に琉球局が出来て軍政府の仕事も其所と連絡することになって居る。
 ◎ウィルッツ氏がマ司令部との経済の連絡係になって居る。
 ◎東京にも貿易庁に相当する代表を置きたい。四政府から一人宛代表者をやりたい。
 ◎復興予算はワシントンでは沖縄も日本の一部として編成して居る。
 ◎日本からの物資を輸入するに沖縄の労務賃金を弗で支払ひ、其弗は貿易庁に積立てゝ之を以て物資を購入したい。
 志喜屋知事
  東京に沖縄財団があるから、ウィルッツ様は其れを利用されたらよいと思ふ。
  ワシントンへ行かれた理由は(貴下が)。
 軍政府
  予算関係で行った。復興予算の要求高は二四〇万弗。
  一九五〇年度の予算を二、〇九〇万弗要求したが一、〇〇〇万弗に削減された。
 ◎ウェッカリング准将が来た時四年計画でやって行く考である。一九五〇年度は一、〇〇〇万弗だがグリーン大佐も一年目はよろしいと云はれて居る。
 ◎食糧・衣料等の救済予算一九五〇年度は三、二〇〇万弗要求したが、陸軍省では此の中には復興費に廻してよいものがあるとのことで二、六二〇万弗に削減されたとラヂオで聞いた。
 ◎一九四九年度は三、一〇〇万弗と覚えて居る(救済予算)。
  三、一〇〇万弗と二四〇万弗との予算について其使途を研究して居る。
  復興費の二四〇万弗を増す様運動して居る。
 ◎ワシントンに行ったら陸海軍が戦時中使用して居た払下げ品が多数あって売却して居るが、M・Gにも払下げて貰いたいと頼んで来たから、品目が来たら必要なものは沖縄にも払下げしたいと思ふ。
 ◎南洋方面・沖縄にある軍需品は、米国は借款を以て支那に売却して居るが、私は其物資はそこの住民に払下ぐべく努力して居る。
 ◎補給部のネルソン氏は布哇へ軍剰余物資を払下に行った。
 志喜屋知事
 ◎自由経済は何時頃から開始になりますか。
 軍政府
  私は知らないが、経済部では立案してグリーン大佐の所へ提出し、大佐はイーグルス少将へ提出するでせう。
  軍労務賃金を上げずカンパン内に売店を設け、廉価で品物を売ることになって居る。
  労務問題は経済関係があるので、進んで労務に就くべく方法を考へて居る。日本からも雑貨品を購入して廉価に売れば進んで労務者が来ると思ふ。
 ◎指令の発せらるゝまでは公表されない様にされたい。
上へ戻る