- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1948年09月24日
(昭和23年)
- 会議名
- 部長会議 1948年9月24日
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- 議事録
- 部長会議〔経済会議報告・図書移入・八重山開拓〕
一九四八・九・二四(金)
出 席 知事、官房長、情報課長、総務(代理仲宗根)、文教(山城)、財政(当銘)、経済当間・澤岻)、衛生(大宜見)、通信(平田)、警察(仲村)、司法(代理宮城)、渉外(比嘉)、工務(代理宮良)、補給(代理山城)、開拓(桑江・新垣・仲原)、貿易(宮里)。
協議事項
官房長
連絡会議の諸報告。
貿易庁長
経済会議の模様報告。九月八日より十七日までの九日間連続開催。午前は軍で、午後は民政府で。
1、自由経済の問題
去る四月の引きつづきの問題。おそくとも十月一日から実施してもらふよう希望した。
2、調査統計資料の蒐集
十二月頃出版予定。
3、経済の今後の見透し
軍予算関係の説明、マーチン氏より。
4、経済に関連する質疑応答
チエス大佐案。琉球用度補給株式会社採用不可。海運の問題。在来型に改造希望。
財政部長
ドル資金をもつわけか。
貿易庁長
貿易庁がもつわけでない。
文教部長
軍政府の方で四ケ年計画で何か考へてゐるか。
知事
一九五二年迄には大体目鼻をつけた事業をやるとウェッカリング准将が言った。那覇もどうにかするよと言ってゐた。
貿易庁長
那覇港は将来は民で使ふことを考へてゐると言ってゐた。
経済部長
セクションベース―海運部―は来年那覇にいくかも知れんと。
警察部長
貿易品は全部貿易庁で取扱ふが、輸送もか。
貿易庁長
もってきたものは全部取扱ふ。
宮良
復興予算の二四〇万弗の内訳はないか。
貿易庁長
ない。
警察部長
見返り品として年次計画をたてたら。
貿易庁長
作ってもらひ度いと要求されてゐる。
衛生部長
コカインは見返り物資としてよいと思ふが、止められてゐる。どうしてあゝなったか。コカインはもう少し手を加へれば商品になるところまでいってゐたが。
知事
米国ではコカインは不要。依って不必要だとあなたが言ってゐた筈だが。
警察部長
復興計画に向って進んで行く具体的のものがほしい。
経済部長
計画してゐる。蚕種の優良種等。
衛生部長
海人草は?
貿易庁長
八重山は五〇〇〇ポンドある。日本は非常に欲しがってゐる。見本を送って何ドルで買へるか交渉してゐる。
衛生部長
八重山のは質がよい。日本から採りに入ってくるらしい。
知事
日本へ各部門の代表が品物を買ひに行けるか。
貿易庁長
ウェッカリング氏は考へてゐる。
知事
図書館長が図書が福岡に山積してある。日本に取りに行かしてもろうように言ってゐた。
警察部長
軍は日本へ行かすのをきらってゐるように思ふ。
感情を悪くしていけない。慎重を期したい。
衛生部長
そうではない。私のところのスミス隊長は好意をもってゐる。現に医学生などの日本行を許可してゐる。
知事
簡単には出来ないといふ軍指令が最近あったようだが(日本行について)。
総務仲宗根
軍ではマ司令部の許可を受けてから、向ふに行ってから引取人か、扶養人があるかどうかを調べてからやってゐる。むづかしくなってゐる。
官房長
往復してゐるのをきらってゐる。
渉外局長
こちらからは苦心して帰って、向ふからの帰りは変名でかへる。
開拓庁新垣
八重山移民について。
四六年の十二月沖縄開拓をつくれとの指令あり。
死蔵の八重山開拓調査のため調査隊十二月出発。
去年も調査隊をやった。
予想面積 石垣 六〇〇〇
一万町歩
西表 四〇〇〇
田四・畑六の割の可能面積あり
簡単にやって一万町歩、沖縄程度で約二、三倍になる見込。
当初の計画は農家一戸一町歩をやり、一万戸、人口五万人。最近の計画では、二町歩、五千戸、二万五千人。それに二割、二割五分の農家以外の移住者を付随する。
経済部長
二四〇万弗でいけるか。
開拓庁新垣
一億円の予算がある。運転資金として承認されてゐる。二十ヶ年、災害ある時二十五ヶ年年賦償還となってゐる。
衛生部長
今度の開発に、只、マラリヤ防遏といってゐるが、衛生部にも発言権を与へて貰い度い。
財政部長
台湾からの移住者は沖縄人以上に成績をあげてゐる様だが。
開拓庁新垣
現在約百人残ってゐる。その中六割は戦後やって来た。肉食をしてゐる。
衛生部長
有畜農業で喰ふ為めに飼育し、売らない。野菜、果実は売ってゐる。簡単に缶詰まで作ってゐた。官房長
一週間五日働いて後二日は山羊、あひる等を屠って喰ってゐると誰かの話にきいた。
衛生部長
戦前、耕地課は耕地課の仕事だから衛生課は発言権はないといったやりかたではいかん。診療ばかりではマラリヤ撲滅は不可能だ。
経済部長
衛生部が必要とするのは必ずやるといふ形でやってほしい。
知事
軍が八重山開拓のことを二、三回私に慫慂してゐる。開拓庁でやってほしい。
沖縄本島内でどうすればよいか。土地所有権が認定されると、移住希望者が出てくるかどうか。
南風原の如き未だ未耕地が相当ある。あれを捨てて八重山に行く方がよいか。
農地調整法も実施の時期かと思ふ。
内南洋に全面的漁業権と移住を許してもらひたいとの南洋帰還者からの陳情もある。基礎調査が欲しい。軍に依存するのみではいけない。
市町村長会、議会の招集もせねばならぬと思ふ。
経済部澤岻
耕地と人口の関係を説明。
特殊の村について、総戸数からみて一戸五七〇坪、農家一戸八七〇坪。戦前の約半分となってゐる。
戦禍の最も甚だしかった中・南部地区は農耕作によっては生活は困難である。
北谷、読谷、勝連、与那城、美里、越来は被害が多い。小禄、真和志、糸満は耕地少く人口が多い。
軍労務との関係等勘案してほしい。
以上のやうな村、殊に移動の未完の村などについて考へてほしい。
島内の調整は実際問題としては不可。
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