戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年09月18日 
(昭和23年)
会議名
ウエッカリング准将との会見談 1948年9月18日 目録詳細 画像を見る
議事録
ウエッカリング准将との会見談

  一九四八年九月十八日(土)午前九時
  於軍政府
  出席  民政府側 志喜屋知事、島袋官房長、比嘉渉外局長、嘉陽安春。
ウエッカリング准将(Gen Weckarling―Chiefof Ryukyu m.g Section in S.C.A.P)米国は琉球を重く見てゐる。
  米国はドイツ、日本、朝鮮に悉く力を入れて飢餓を救はふとしてゐるが、特に琉球は重くみてゐる。
  但し、これから援助の程度は減少されるかも知れんが、将来は自給自足させる様にするのが建前である。
  日米戦争のために琉球が完全に破壊されたことは充分承知してゐて、米国は根本から救ふてやらふとはしてゐるが、将来は経済的に確立させる方針をもってゐる。
  復興は一朝一夕には出来ないが住民には辛抱に辛抱を重ねて確実に進むように注意してもらいたい。
  我等の目指すところは、琉球を復興し民衆を幸福にすることである。
  ソビエット・ロシヤが邪魔をするので、米国のやり方がてぬるいといふて、住民を共産党に追ひ込まふとするようなことはないか。あったらきかしてくれ。
 志喜屋知事
  思想問題方面には注意を払ってゐます。いまのところ米国に感謝してゐます。
  そう大した邪魔はないが、今後外国から邪魔の手が入らぬようにねがってゐます。
 准将
  琉球の生活の現状は朝鮮、支那、南洋、寧ろ日本やフィリッピンよりも恵まれてゐるところがある。
 知事
  たゞ二、三年前、支那から宣伝ビラを送ってそれを手に入れたことがあるが、それを直にM・Gに報告したが、その後外国から手を差し延べて来たことはない。
 准将
  たゞ今は誰も琉球の帰属について言ふことは出来ないが、私個人の意見として支那がとることは、とても見込みがない。
  アメリカのドルをどの国も得たいとしてゐる。ここの貿易庁の希望はどう知事はみてゐるか。
 知事
  概略をきいて満足してゐます。
 准将
 ◎昨日出した陳情書はみた。
  昨日の文書の中、漁船の方はすでに命令はしてある。一九五二年迄にもっと沢山のことを復興させようとして十五名の専門家に研究させてある。
  すぐたゞ今必要なもの、又将来必要なものを要求するようにグリーン大佐に命じてゆくつもりである。
  昨日辺土岬まで行ったが却々景色がよい。然し丘の上まで段々畑にしてゐるのをみて、沖縄では水産業を起すべしと思った。
  昨晩は月見の宴会が方々にあったようだ。これから琉球の諸問題を親しく調べてみたい。
 知事
  人民は議員や知事の選挙を早くやってもらひたいと望んでゐる。どうぞよろしく願ひます。
 准将
  計画だけは東京に送ってある。きまったらグリーン大佐を通じて知らせる。
 知事
  東京にお帰りになったら、GHQの宗教課で働いている比屋根安定、丸ビル六階の沖縄財団を主宰してゐる比嘉良篤、斯ふいふ人からも沖縄の事情を聞いて戴き度い。
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