戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年09月13日 
(昭和23年)
会議名
マ司令部琉球軍政局長ウエッカリング准将一行(一部)との懇談 1948年9月13日 目録詳細 画像を見る
議事録
マ司令部琉球軍政局長ウエッカリング准将一行(一部)との懇談記録

  一九四八・九・一三(月)午後一時半
  於渉外局室
  マ司令部側
   ウエッカリング准将
     Weckerling;ChiefofRyukyum.g.
     Section in S.C.A.P
    フィールディング氏      Fielding
    フレミング氏         Fleming
  軍政府側
   グリーン大佐、キーリング中佐、マシュース氏。
  民政府側
   志喜屋知事以下全部長。
  其の他
   琉球経済会議出席中の南北琉球代表。
  始めに人の紹介。
 知事
  歓迎の挨拶。
 フィールディング氏
  挨拶。今度極東本部に特に琉球軍政局が出来た。
  長官がウエッカリングさんです。こちらに来た目的は直接に琉球の状況、人民の実生活、復興の必要条件の視察の為めである。
  如何なる方策をとった方が琉球列島の人々の為めによいか承り度い。
  琉球建設についての各方面の腹蔵なき意見を交換したい。
 ウエッカリング准将
  今度始めて沖縄訪問をした。自分は朝鮮に二年半、日本に八年間ゐたことはあるが、琉球には始めてであるから、これから研究したい。
  此の次も亦一度訪問したい。
 フィールディング氏
  フレミング氏を紹介します。此の人は予算関係の主任です。
 フレミング氏
  終戦後住民は相当に復興救済資金を与へてゐる。
  私達としては軍政府が面目一新した機会を利用し、出来るだけ接触して琉球をして能ふ限り自給自足の態勢をとらしめたい。
  戦前の沖縄の状況は自立の精神に富み、勤勉で外国の援助なくしても立ってゐた。従来沖縄には熟練工がゐた。農業、漁業、工業方面にも充分な腕前をもってゐた。知事と協力してこれらの人々を出来る丈け自賄にしたい。かういふ優秀な住民を充分働かせて戦前のような状態に到らしめたい。
 知事
  今までいろいろと米国から援助を受けて来たが、聞くところによると今までよりも、もっと大量に復興資材が入って来るといふことを聞いて喜んでゐるところであった。復興資材が来たら今日のお話をきいて大いに努力したい。
 大島副知事
  衣、食、住各方面にお世話になって感謝します。
 宮古代表
  衣、食、住とも軍政府のおかげで段々よくなったことに対し感謝します。
  戦前の施設がこわれて、今復興のために補助されてゐるが、戦前に較べてまだまだである。
  産業方面を復興して生き生きとした生活が出来るように御尽力をお願ひする。
 八重山代表
  御援助により復興した事を感謝します。八重山には未開拓の土地があり、未だ開拓されない原因はマラリヤにあります。これを撲滅して琉球全体の復興に資したい。
 フレミング氏
  各地方の人々が帰る前に尚詳細のことを聞きたい。
  文書にして軍政府経済部を通して提出してもらひたい。
 大島代表
  自給自足を目指して増産する為めには、大いに資材をもらってゐるが、それ丈けでは充分でない。
  海外貿易、殊に日本との貿易を復活して戴き度い。
 フレミング氏
  日本に送る為めに何を生産するか、沖縄に送る為めには何を生産するか。そして自分達としては、そのかわりに何が欲しいか。
 大島代表
  それは文書にして経済部に出してある。
 フレミング氏
  グリーン大佐もそれに力を入れようとしてゐるから、これから何を生産するかについて皆様が大いに研究して欲しい。
 沖縄知事
  四〇万の戦前沖縄本島人口が帰還者等のために五十二万人になってゐる。沖縄だけで自給は困難。
  早く移民を出したい。平和会議前に元の通り海外に出したいと考へてゐる。
 フレミング氏
  人口が増したら、増しただけ、それだけ生産も増すから、その物資を外国に出し、そのかわりに外国から食糧その他を得るからいいでせう。
 知事
  人口はふえたが、土地は減ってゐる。耕す余地がない。
 フレミング氏、キーリング氏
  琉球列島内でも人口希薄なところがある。西表をいやがるわけは何か。
  マラリヤは既に無いと言ってゐる。ゼネラルの一行は十名もゐる。夫々の専門家がゐるから皆様の御意見をきくであらう。皆様の御意見も軍を通じて提出してほしい。
             ――終――
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