戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年08月03日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年8月3日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔国際連合提出資料・米国留学〕

  八月三日(火)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、比嘉局長(通訳)、仲里課長、富名腰課長。
  軍政府 ラブリー少佐、東通訳。
  欠 席 島袋官房長。
諮詢事項
 軍政府
  情報資料(宮古で出た琉銀行の件)。
 ◎国際連合に提出する資料調査の件(マック司令部より)。十一月十日迄で軍政府に提出。
  日本留学生一〇〇人送ることをマック司令部から許可になった。九月頃から出発するだらう。工、医、法科。
 ◎米国留学は其後何等の報告がない。
  布哇の湧川氏が米国の学校と交渉中で、其報告がマック司令部に報告しなければ渡米は出来ない。
  多分今学期は困難だらう。
 ◎共進丸はマック司令部から船と船員を帰へせとの指令が来て居る(スキウス氏談)。
  不法で日本から来た船は日本へ帰へせとのことである(マック司令部からの指令)。若し帰へさなかったら、如何なる処罰をしたか報告せよと。而し大
  体帰へすことになって居る。
  昨日の労務については、ワッカー氏と私とキーリング中佐と打合してグリーン大佐に話した。
 ◎軍政府の各部に労務については総務とワッカー氏より民政府に連絡し、各部から知事に要求しないことにして居る。
  労務褒賞の件は前の三〇〇人分はやるが、今回の一〇〇〇人についてはワッカー氏からチエース大佐に交渉することにした。
 志喜屋知事
  英語奨励については善処することにします。
 ◎グリーン大佐から労務供出につき感謝状を送られたことに対し感謝します。
  那覇ハイスクール付近の空地を生徒の運動場に使用せしめられたい。
 軍政府
  山城部長からストワート様へ、それからラブリー少佐へとライカムへと申請すべきである。
 志喜屋知事
  酒の主管部の指令をお願ひします。
  故糸数昌保氏への弔慰金をお願ひします。
上へ戻る