戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年05月22日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年5月22日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔刑務所移転〕

  五月二十二日(土)午前九時
  民政府 志喜屋知事、又吉部長、前門部長、松岡部長、山内刑務所長。
  那覇市 仲本市長、助役外三名。
  軍政府 スキウス氏、ラブリー少佐、エルムス氏(刑務所長)外一名。
刑務所移転について協議
 軍政府(スキウス氏)
  列席者の氏名を訊く。
 志喜屋知事
  刑務所を元の場所に移転するや否やについて協議したい。那覇市長から発言されたい。
 仲本市長
  刑務所は元垣花にあったが港の入口で環境上・風紀上よくないとのことで真和志村の閑地に移転した。
 スキウス保安部長
  移転してから何年なるか。
 那覇市長
  二十四、五年前である。
  刑務所は真の人間に返へすために作られた。
  那覇市民は現在七万人を超え、今二一、〇〇〇人居るが国頭方面に四万人が居る。如何にかして彼等を移転させるか。通堂、垣花、新町、泊を失ひ道路も失ひ、彼等の住宅地は真和志に入り込んで行く。故に刑務所は那覇市の中心になる。垣花一〇、〇〇〇人、通堂五、〇〇〇人、新町一〇、〇〇〇人、泊一三、〇〇〇人程戦前は居ました。
 軍政府
  刑務所跡には幾人程の人口が居住出来るか。
 市長
  刑務所跡から溢れ出ることになる。今の敷地には一六〇〇人程居る。周囲に市民が居住するから中心になる。刑務所の作業地としては乾燥地で不適当で真和志方面には剰余地がない。
 國場村長(港村)
  港村としては刑務所の周囲に学校がある。戦前は犯人は他へ出て仕事をして居た。戦前も脱獄者が居て住民は恐れて居た。現在は予算も軽く出来るが将来は知事の犠牲を払って移転されたい。
 阿波根開南初等学校長兼那覇市議
  刑務所移転を総務部長が知らなかったことは民主々義でないと思ふ。
  旧刑務所であったからとて現在も適当なりや否やは疑問である。工事の都合で新設すれば二〇〇万円、修理は二八万円で出来ることはよいが、余りに物質的に傾ひて居る現在の位置に移転することに教育上・精神上から考へなかったことは片手落である。運動場を学校が使用して居るので学校経営から尋ねるが、斯る時米国では学校にやるか刑務所にやらるか、開南初等学校運動場は市民も使用して居る。昨年軍政府から許可になって目下刑務所跡は運動場になって居る。元開南初等学校が住宅地になった。一時的に移動した時打撃を蒙るのは学校と思ふ。米国では学校と刑務所と隣接して了とするか質します。
  市議及学校長として刑務所を他へ移転して貰いたい。又吉部長は論語の耳順を軍政府に説明されたい。知事は学校の立場から説明されたい。無理を通すのが軍政府の精神でないと思ふ。
 城間市民代表
  軍政府としては上述の通り既に刑務所の移転は御分りと思ふ。若し否ならば其に対する御意見を述べられたい。
 軍政府
  城間氏は工業協会の意味で来たか、那覇市民代表として来たか。
 城間氏
  那覇市民の一人として来ました。
 軍政府
  市民代表と云って居るが誰が君をやったか。
 城間氏
  市議がやった。
 軍政府
  団体として来たか。
 市長
  市民代表として来た。
 仲山氏
  刑務所移転につき那覇市民は心配して居ることを考へられたい。
 スキウス保安部長
  何所の国でも法律を犯す者は刑務所に囚はれる。
  沖縄にも法律を犯す者が居る。犯人は善良なる住民とは一所に居住出来ない。故に民政府は住民から離すため隔離しなければならない。自分は場所を何所と決めなければならないことはない。何所にしても安全である設備の届いたものを作らなければならない。
  戦争中に刑務所は破壊され米軍が占領して住民の使用は許可しなかった。刑務所が破壊されて居なければ其所にやるべきであった。已むを得ず一時的佐敷にやった。コンセット、テント作りを用ひた。戦争のため民心が悪化し日本から悪い者が来て悪質の犯人が出来た。斯る者を一時的の所に安全に置くことは不可能である。現在の佐敷は壊れかゝって長くは維持出来ない。仮に修理しても一ケ年や一年半のためであるから金を捨てるのと同様である。佐敷を修理する為めの費用を調査し那覇刑務所を修理する費用も調査した。結局那覇刑務所の方が費用はかゝらない。那覇のものは外周を修理すれば安全である。佐敷は然うでない。若し民政府が那覇の其れと同様の安全なものがあれば移してよい。然し現在の所ないだらう。那覇市長及住民は刑務所跡が欲しいと云ふことに到達す。
  若し那覇に譲るとすれば他に求めないといけない。
  其所有者は喜ばないだらう。刑務所は那覇のものではない。沖縄のものである。那覇市が取らうと云ふことは出来ない。民政府所有である。中城々址は国立公園になるが、斯る所に刑務所を作るにしても二百万円はかゝる。知事は其費用はない。
  住民に負担しなければならない。天から一千万円あっても建築資材がない。知事は金があっても新建築は不可能だらう。其理由から結局元の刑務所が最も安全で経費も少なくかゝる。恐らく現在の所では那覇の刑務所が一番適当と思ふ。将来充分に貿易が出来る時は新らしい所に作るのもよいが而し今の所は金も物質もないから困難だらう。結局元の刑務所に移転した方がよい。
  戦争のため各自移動した人もあり又米軍が使用した為めに居れないが那覇市の欲するところに勝手に入るのはいけない。将来は自分等の那覇市に帰へれる。現在非常処置として他人の土地に建物等を作って居るが将来は然うはいけない。新町を工場地帯になると云ったが、誰が云ったことか。市長としては勝手にやられない。地主が居る。新町の元地主が帰へって工場地帯にするのは別で結局地主が住むことになる。民政府でも土地調査をして居るが所有権を認める為である。民政府も他人の所有地を勝手にすることは出来ない。学校を刑務所跡に作りたいと云ふ意味である。以前も学校も近所にあった。其時は差支がなかったのに現在は其理由はない。戦前は囲があって刑務所の囚人は中に居たから影響はなかったが現在は外部から見えるからと云ふが囲をすると差支はない。結局彼等囚人は刑務所内での仕事が沢山ある。沖縄人の需要品も出来て廉価に提供出来る。囲の外部に刑務所の土地がある。現在其土地に住民が住んで居る。此等の人々は他日那覇市が解禁なると移動が出来る。其時迄は土地を返へせと云はない。又刑務所の外にコンセットがあるが、之はストワート様(文教部長)に移転する様に話してある。適当な所がなければ其まゝ使用してよい。恐らく其学校も仮であり、他日本建築の時は移転するだらう。民政府の落度かも知れないが刑務所であるから住民が居住してはいけないと云はなかったのが悪かった。刑務所に居住したのは当分として黙認した。結局少し許すと云ふことは多くのものを失ふと云ふことが米国の語にある。少しの居住を許したのが全体が欲しいと云ふことになった。学校のことは文教隊長とも話したが了解して居る。ストワート様も暫定的であって永久的でないと了解して居る。結局市の真中にあるのはいけないと述べて居るが米国でも中央刑務所がボストンの真中にある。私はボストン刑務所の側を昼夜三ケ年通勤したが高い囲をやってあるので一度も囚人を見たことはなかった。
  ニューヂニヤ、バージニヤでも市中に刑務所があるが問題になったことはない。只其刑務所が安全であるや否やが問題である。結局那覇刑務所は民政府のもので那覇人が主張することは出来ない。
  君等は其を主張する権利はないが只私達に下さいと願って居る。佐敷の刑務所の土地は個人のもので民政府のものではない。彼の地主こそ其地を返へせと主張して来るべきである。権利を主張すべき人が来ないのは佐敷の人であるが彼等は民政府に移転せよと願って居る。現在の状態を続けると復興は出来ない。他日は個人々々の所有主に返へるだらう。私は沖縄に居る間囚人に安全な所を与へる責任がある。私としては那覇刑務所が適当と思ふ。城間氏は工業方面の会長である。刑務所に工業方面の人が工場を設置せんとし、又新聞社が入ると云ふこともあるが之は民政府の土地である。
 城間議員
  私は工場設置とは初耳である。
 市長
  戦前も付近に開南中学があって識者間には刑務所移転の話もあった。垣花・通堂も賠償の手続をやって居るから其所には市民が移動出来ないと思ふ。
  戦前沖縄住民は善良な人間であったが今は悪化して来て居るので之等を善良な人間に返へしたい。
  土地も那覇人が取る意味ではない。有益に使用したいのである。戦前も土地収容法があった。民政府の土地を買って又民政府は個人の適当な土地を買ってもよい。
 軍政府
  其れに代る土地・資材があるか。
 市長
  平和になるとあるが今の所は皆で働かなければならない。工場や新聞社が来ると云ふことは聞いて居ない。将来は図書館や博物館を設置したい。
 軍政府
  結局那覇として必要ならば其代るべき土地を買ひ資材を持って来なければならない。
 市長
  刑務所は那覇市民のみのものでなく全沖縄のものである。
 軍政府
  沖縄住民は那覇市のためにやるか。
 市長
  沖縄住民のためにやらざるを得ないでせう。
 軍政府
  沖縄住民の話であればよいが君等は那覇市民としてゞある。
 市長
  沖縄議会に提出すべきである。
 軍政府
  若し議会に提出しても議会は議決権がない。私は責任上適当な所を不適当と云ふことは出来ない。
  また金があっても七年は建築に要す。佐敷に在る刑務所は古くて修理を要するが修理しても金を捨てるのである故に恒久的にやりたい。安全でない所に新築をやる七年の間此の殺人も多い時不安全な所に置くか。
 市長
  司法部長も現在の所不適当とのことで名護を調査したが結局那覇を選んだ故に那覇は不適当と思ふ。
   (付名護を選んだのは宜野座の支所の移転の為であることが証明される。名護や屋部村から陳情書が提出された。)
 軍政府
  司法部長が那覇に作るとやったら其費用及資材はあったか。
 前門部長
  市長が名護に刑務所敷地を交渉したとのことを云ったが、それは中央刑務所のことでなく宜野座刑務所のことであった。此の刑務所のことは知事及刑務所長から意見を聞いたことである。
 市長
  本日は之で打切り又研究してやりませう。
 志喜屋知事
  那覇市長の陳情もよく分る。那覇市は文化の中心で沖縄住民の関心する所である。私も二中に居る時刑務所が二中付近にあるので、東京方面に居る人々から非難を受けた。那覇市長に猶予を与へて考へさせられたい。
 軍政府
  副長官にも決定しなければならないから急いで居る。何時会合するか。
 志喜屋知事
  来週中にやりたい。
 軍政府
  議論をせず、君等の希望も軍の希望も入れられる様にされたい。刑務所移転は沖縄のこととして考へたい。新築をすれば一千万円もかゝるから其費用まで私が考へることは出来ない。遠大の理想は分る。将来は出来るが今日はそれをやる金がないと思ふ。
                     以上
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