戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年04月02日 
(昭和23年)
会議名
定例部長会議 1948年4月2日 目録詳細 画像を見る
議事録
定例部長会議〔民政府改正機構〕

  一九四八・四・二(金)
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長、比秀翻訳課長、比善外事課長、総務(代川上)、社会事業(代山田有昂)、文教(山城)、衛生(大宜見)、司法(前門)、通信(平田)、労務(當銘)、水産(玉城)、工業(代黒島)、工務(松岡)、警察(仲村・代大嶺)、商務(代糸数青重)、補給(平良)、農務(代嘉手苅)、貿易(宮里)、文化(當山)、財政(當銘)、開拓(〔欠字〕)。
議題――改正機構図表に関する件
 知事
  重複するかも知れんが部長が来ないところがあるから、先日の臨時部長会議でお話した改正機構について一応もう一ぺん繰返す。
  三月三十一日(水)琉球銀行の護得久氏がクレーグ大佐に八時に呼ばれ、十時頃知事室に同氏が来訪、機構改革に関する書類を手渡された。
  目を通して後午後三時に再度一緒に来るようにといはれたが、三時迄に目を通すことは容易でない。
  経済連絡会議もあるし、首里の慰霊祭にも出席せねばならぬ故延期方を願ひに外事課長に行ってもらったらクレーグ氏不在、午後二時まで何の回答なし。臨時部長会議を開き翻訳課長より大略の説明をなし質疑の問題をまとめた。二時過ぎて明四月一日午前十時半にするとの返事があって昨日護得久氏、財政部長、翻訳・外事課長と五人でクレーグ氏に会ひ希望を述べ、質問した。その結果を本日報告する。その前に比嘉秀さんもう一度指令の説明を乞ふ。比嘉善氏は昨日の会見の模様を後で説明を乞ふ。
 翻訳課長
  指令をよみ上げますが臨時部長会議で説明したものはサインがなかった。昨日クレーグ大佐のサインをもらって来た。
  首題は改正機構図表に関する件。直ぐ謄写刷で上げます。指令説明をなす。
 知事
  わかりにくい点御質問ありたし。
 文教部長
  増俸は二割五分と解釈出来るが。
 翻訳課長
  たぶん平均二割と思ふ。下に厚く、上に薄く。
  例へばスクールティーチャーは、二八〇~五〇〇、平均三九〇。スクールプリンシパルは四五〇~七〇〇、平均五七五。
 補給部長
  全琉球に亘るから軍政府が金を出すなら補給部はOCAに入らんのですか。
 外事課長
  臨時部長会議での質疑事項を取纒めて昨日回答を得て来た。
  ドートリー氏が、文書をもって軍がこれを出す趣旨は民に無理のないように、又民が正しく支払ひすべきものに支払ようにして、全琉球に亘るものは軍が払ふからと言ってゐた。
  質疑と回答は以下の通り。
  一、medical supply sectionは本文では民予算から除外されてゐるが付録A表に掲げられてない。
    ○一般用度補給部に包含されてゐる。
  二、復興費中公衆衛生に関する分は大分削られてゐますが、愛楽園の経費はそれから除かれたのですか。
    ○それも含んでゐます。
    何故大削減されましたか。
    ○衛生費は全琉球に対するものとして軍の衛生予算の中に入れてゐる。
  三、社会教育課と文教学校は軍の経費で賄ふことになってゐますが、その管理も民文教部を離れますか。
    ○軍の文教部が責任をもつ。
    OCA文教部とは関係なきや。
    ○詳しいことは後程軍の文教隊長スチュワートさんと打合はせなさい。
  四、外語学校の経費は如何なりますか。
    ○含んでゐない。南北からも来てゐますが。
    ○その分の経費を負担させなさい。
  五、A表の金額には旅費を含んでゐますか。
    ○含んでゐます。
  六、B表にも含まれてゐないとすれば四〇万円復活していたゞけませんか。
    ○含まれてゐない。
    B表は復活予算である。その仕事を遂行するには旅行を必要とします。
    ○知事からその向事情を明らかにして提出しなさい。軍で考慮する。
  もう一つ、午後ウイルソン氏に私は呼ばれて行った。復興予算を貰ひましたといったら、実は大部遅れた。軍財政部では大部復興予算は削ってあった。それを一、七〇〇~一、八〇〇万円の範囲に増すように修正させたいといふお話でした。
  全くウイルソンさんの御援助です。
 補給部長
  新機構では軍が責任を負ふといってゐるが。地区倉庫と天願倉庫が同じ民のものだが普通の倉庫とは違ふ。書類は民補給部を通過するが、仕事については軍に責任があるといふ。一から十まで軍政府でやってゐる。
 翻訳課長
  文教部のように隊長にあなたから折衝するように。
  外語学校などのように民文教部が握って軍が監督するんだといってゐた。
  A表の全琉球の政府代行機関とは、琉球銀行、貿易庁、開拓庁、海運(部か課か)、財産管理、西表伐採隊、大東燐鉱、国際郵便、用度補給部(OCA)、社会教育指導、全琉球師範学校、全琉球放送局。
  B表の復興費
   官房、総務、通信、経済、文教、財政部及土地課、警察、公衆衛生、工務。
  以上はわれわれが言ってゐる復興費です。
 外事課長
  民政府に無理な支出はさせないといふ例は、警察部に四〇〇名の爆弾監視人を置いたことで、明に民に必要でないから、これは軍が支払ふといってゐる。
 文教部長
  軍の責任の事業である師範・外語学校の任免権は全部知事を離れますか。
 官房長
  情報課長の任命の時は前に軍が調べてライカム、CICまでいって、それからよいからといわれた。
  実際は推せんして内申し、任命は知事がする。
 外事課長
  特に情報だといふ意味でだったかしれんが。
 貿易庁長
  私の辞令は軍から直接出てゐます。
 翻訳課長
  開拓庁長は推薦を知事がやり、知事が任命したと記憶す。兎角軍は横の連絡が少い。
 官房長
  そこです隊長と連絡を密にせよとは。
 知事
  チェースさんは民政府に補給部を置きたいと。リースさんは全然之を引離したいといった。
 衛生部長
  外語学校の生徒は南北琉球から来る。看護婦学校も南北から来る。今一二〇円生徒に俸給をやってゐる。ここでは向ふに払ふ必要がないから、授業料三〇円、食費六〇円とる。之を財政部と相談して設備に使へと軍は言った。
 官房長
  戦前も学区域外から来る者は授業料をとられた。
 文教部長
  全琉球の軍責任の俸給支払ひをどうするか。
 財政部長
  直接軍から出すと思ふ。
 翻訳課長
  これについて労務、社会事業の隊長ゲスリング大佐は、これはめんどうになるぞ、誰が一体責任をもつかといってゐた。
 文教部長
  民に委託支払ひさせてもらひたいと希望したい。
 貿易庁長
  半月はどうしてもおくれます。
 衛生部長
  支払ひ方法はどうするかときかれたので私にやってくれといった。
 労務部長
  労務の方では一ケ月おくれてゐた。軍が出て行って支払ふ。委託支払ひにして呉れと何辺もねがったがだめだった。
 知事
  クレーグ、ドートリー、リース、マックメン、ゲスリングさん方と面会しました。ラブリー、キーリングさん方が好意的だったのは事実です。マックメン氏は日本の弊風だった官吏の旅費稼ぎの嫌みをいってゐた。指令だけでは実施するには明かでないところがある。ラブリー、ウイルソン氏にあって明かにする。別に機構図はもうこないと思ふ。
  今後は我々の考へでやらねばならん。それには余程吟味せねばならん。之れに依ってどの程度人事の整理をやらねばならぬか、財政部と人事課で研究立案することにならう。
  今明日中には到底出来ない。だからどうだと言明はさけられよ。
  実は軍に急いで機構の指令を呉れ、おそくとも三月の始め迄には出して貰ふよう殆んど毎週催促した。それがやっと三月三十一日に来た。併合になる部長が此の際踏み留まって課長にもなり人事に手を尽されて貰ひ度い。明日からでもやめたいといふ方が居ようが、枉げて慎重に人事は進めてもらひたい。然し御都合は無理に引き留めはしない。
  出来得る限り人事に尽力され度い。部長以上の進退は簡単にはいけない。軍にも話してみんといかん。実は曩にその問題と同じ問題で私は辛酸を嘗めたことがある。部が課に下げられ部長が課長になったことがそれである。
  クレーグ長官から英語の話せる人は増俸等して優遇せよと言はれたことがある。以前ホンヤク課をホンヤク部にせよときて、比嘉秀平さんを部長の待遇、比嘉善雄さんは最高ホンヤク官にせよとあった。相当期間ホンヤク部として活躍して来たが軍財政部から或時機構図を持って来た時にはホンヤク課となってゐた。事情を話したら訂正しようといって帰ったが後でレイトンさんは財政部でそうしておけといふので仕方がない我慢してくれといはれた。
  軍では有能な人だといふことは分ってゐるが、それで平気でゐる。今度の機構は軍の命で出たが同じような苦しみが又生じた。私としての実際の感想はどの部にも復興に必要な仕事をやってゐるのである。たゞ時には職員は多いとも思ったが、許すならば縮小はしても今の部は部として存続させたいと思ってゐた。沖縄の復興に力をつくされたい。
  比嘉秀平さんの感想がありましたら…………
 翻訳課長
  恐縮です。私のところは一寸した手違ひからで決して軍の悪意ではありませんでした。部にせよといはれたのが七月、九月に命令が来た。会計年度は十二月までだから後四ケ月位だから我慢してくれと官房・財政部からあったのでよろしいと答へたが、抜打的にあの指令はきた。その後課となったのでマックメンに言って直させるからとレイトンさんは言はれたが、マックメンは軍財政の面子にかゝはるから人一人位どうでもいいだらうといった。働き、実力において部長として八より課長として十がいいよと軍の知った人は言って呉れた。
  沖縄復興の為めに大いにやります。沖縄人は文明人だよといってやった。
  機構の改正にあたって同じ苦を嘗められる部長があることは同情に堪へない。部員の待遇なり色々むづかしい問題が起るでせう。周囲からの圧迫に(例へば配給)苦しい思ひをしたり、さまざまの方面に苦んだ。部長として働いてゐる方々が地位に恋々としてゐるわけでもなし、一部署を充分守られるよう切望する。
  私の体験した圧迫が皆さんに起るとき筆頭になって挑戦して行きます。何処の部署でも頑張って沖縄復興につくされて欲しい。
 文化部長
  新機構の部の数はいくつですか。
 翻訳課長
  十です。官房から職務管掌等作って出すでせう。
  私のところは渉外局になるでせう。
 知事
  十二月末かウイルソンさんとの連絡会議にウイルソン氏が小さな声で数名の人がゐる時、糸数昌保氏の性格、長所を述べられて文字で書いて比嘉善雄さんに話されたのには機構改革のときには糸数さんを擬してゐるでせうといはれた。
  知事もその意見です。不思議に一致してゐると言った事がある。経済部には糸数さんを推すことに覚悟してゐる。御了承乞ふ。本人は病気で休んでゐる。それ迄事務は一時官房長に願ふ。官房長が多忙の時私もみる。
  合併となると仕事も多からうが、万全を期してもらひ度い。此の際色々揣摩憶測あり皆さんからも此の会合で御注意があったが投げ出して行くのもどうかと思ってゐる。自分の身を処置することも簡単でない。志喜屋休んだらどうかとあったら快く受けるが悩んでゐる。現職に恋々としてゐませんといふ私の気持は軍の方々には分ってゐると思ふ。
  例へば知事公選に再び打って出ようといふ意がないといふことは知ってゐよう。然し辞めたいとは公式に言ってない。
  志喜屋を悪口言ふのも居るさうだが頑張れといふ話もあります。ウイルソン氏も知事は辞めてもいいと言ふ話が聞えると言ってゐた。以前、ゲスリング氏が病気はどうかと問ふた。その人が昨日、お前は辞めてはいかんよ。立派な長官が近く来るから頑張れと言はれた。軍の考へのもう少し的確なところをみたいと思ふが分らず決定し兼ねてゐます。決して恋々としてはゐません。
  簡単に無責任に嫌になったからといって辞めも出来ない。知事公選は、世界の情勢いつまでも落着かず、平和会議後に来るのでなく前に来るのではないかと思はれる節もあります。
  どうすると決定案も持ってゐない。皆さんの御了承を得ておきたい。
 文化部長
  知事の現在の立場は御同情申し上げる。自分の希望としてどうか一日も早く知事を公選する機会を促進させてその時が来るまでは辞められぬ様に願ふ。
  沖縄全人民の思想感情を各地廻ってみて皆の希望を総合するに志喜屋知事は頑張ってもらひたいと。
  又知事公選の希望も大きい。
 知事
  有難う。大いに力を注ぐ。公選に就いてシーボルトさんにも強く述べた。今盛んにお願ひしてゐる。
 翻訳課長
  松岡さん今の指令についてあなたのところをお伺ひする。
 工務部長
  工務は軍政府から直接監督される。費用も民財政部と関係ない。土曜は半ドン、時間丈けは厳守してもらひ度い。民政府とは関係ない等言はれた。
 翻訳課長
  第三項、第四項がはっきりせんと。今日ラブリー氏にきいてみる。       ――終――
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