戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年03月24日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年3月24日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔通貨切替・平和会議・公選〕

  三月二十四日(水)午前十時
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀課長。
  軍政府 ウイルソン中佐。
諮詢事項
 志喜屋知事
  職員の食糧増配につき有望の様にありましたが、軍補給部では出来ないとのことを聞き心配して居るが貴下の御尽力に感謝します。
 軍政府
  チェース大佐は此の件につき詳しく知って居ないが而し反対して居る。而し目下努力中で希望通りは行かないがゲソリン大佐も賛成して居る。
 ◎民政府一部から先廻はりして出られない方がよい。
  之は経済関係であるから経済部で研究して交渉した後出る方がよい。
 ◎経済統一をするのに通貨の切替であるが之を軍政府に来た。フイルデング(マック司令部員)氏に話したら、帰京してホックス准将に話します。多分四十五日以内に切替へが出来ると思ふ(秘密にされたい)。
 ◎切替後は自由販売にしたい。切替前に食糧・衣料等の増配をしたい。
 志喜屋知事
  其間俸給のわくを除いて貰いたい。
 軍政府
  通貨の価値の高くなる時は物価は廉くなり増俸すると税の関係もあるが孰れがよいか考慮されたい。
 志喜屋知事
  松岡部長の話によると機構の改革は財政部でやって居るとのことでありますが。
  又財政部に来て居る写では知事案の通りとのことであるが。
 軍政府
  全面的に覆へすと云ふことはないでせう。
 志喜屋知事
  酒醸の民営移管は如何なりますか。
 軍政府
  研究して居ます。
  官営民営の時の収入を研究して二、三週間後に決定するでせう。
 志喜屋知事
  比島兵に関しクレーグ副長官に進言して戴いて感謝して居ます(極秘にして居ます)。
 軍政府
  結果は如何なるかマック司令部にも願って居る。
  軍政府も努力します。
 志喜屋知事
  ムーアー少将が二十五日来沖とのことですが。
 軍政府
  二十六日(金)来沖される。
 志喜屋知事
  平和会議前と雖も米国は沖縄に仕事を進めて行くと云ふことを仄聞しましたが其通りでありますか。
 軍政府
  米国としては平和会議を早くやりたい。又準備も出来て居る。ソ連、支那が反対して居るので延びて居る。政治行政方面も平和会議を待たずに変更して民政議員、知事の選挙を行ふ考である。
  クレーグ大佐、ドートリー大佐は其件につきては平和会議後でなければならないと云はれて居るが。
 軍政府
  先日ゲソリン、ドートリー両大佐と私と三人で話が出た。ゲソリン大佐の話であるが知事は辞めたいとの話を聞いた。辞めると知事は公選にしなければならないと。
  ドートリー大佐曰く、今公選するわけには行かない。移動が落付いて生活が安定した後でなければならない。
  ドートリー大佐等が帰米する前にやるか如何か。
  公選にすると軍政府で三人の候補者を挙げてやるか如何か。
 軍政府
  安里延氏の万年ペンを取らうとしたM・Pにつきスキウス様に話してM・Pをよく教育すべく隊長に連絡する様にと云った。合法的に得た物を取り上げない様にと。
 ◎与儀試験場の家畜が栄養不良であるから、スポイルは酒を造らざる家畜にやる様にと。
  与儀試験場のみでなく各地の家畜が然うであるから注意して貰いたい。
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