戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年03月19日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年3月19日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔軍政府要員帰米・職員への食糧増配〕

  三月十九日(金)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀課長。
  軍政府 ラブリー少佐、東通訳。
諮詢事項
 軍政府
  ドラム罐を調査し返還の件。
 志喜屋知事
  農連から買ったものもありますが。
 軍政府
  それは返へさなくてもよい。
  拾ひ集めたもの返還である。
  ライカムで働いた人々の賃銀支払の件。
  土産品店の建築費の件、財政部へ。
  事故車輛の報告をせよ(工務)。
 ◎リース中佐は未還であるがマックマン氏の話であるが、クレーグ大佐のサインをすべく機械は準備して居る。来週の火曜日には届くでせう。
 ◎映写機は個人のものは貿易庁で取扱ふことは出来ない。向ふで関税を支払って送る様にすればよい。
 ◎西原の移動の件は該地の軍が移動する所が判るまでは許可出来ないとのこと、ライカムからの返事である。
 ◎米国、布哇への旅費。
  一日滞在一二〇円の四日分。計一、五〇〇円程所持すればよい。若し不足の場合は横浜領事で立替へると。
  米国――横浜間  二一三弗~三五〇弗
  布哇――横浜間  一七五弗~二九〇弗。
  一歳以下は一割。
  米国、布哇に居る人が会社に支払ふ。又は副領事で立替へる。米国の知人から立替へて領事に収める。
 ◎外国からの小包の表記の記入は三月十六日以降記入報告の必要はない。
 ◎通信部のコンセットは許可になった。レーマン工務隊長と松岡部長で世話する。
 ◎フライマス氏からバーネット氏の話であるとのことで、通信部の職員は働いて居ないと。出勤時になっても人が居ない時がある。注意されたいと。
 ◎中央刑務所の那覇移転の件はロータベルグ中佐が移動したいとのことで軍工務部で調査中である。
 ◎慶良間外離島からの無電設置の陳情は村長から知事を通し、知事から軍政府へ文書を以て提出されたい。
 ◎印刷機の活字や部分品は注文してあるが未回答である。特別扱をしてあるから直ぐ来るかも知れないと(ホーイ大尉話)。
 ◎ヘードン准将から木を濫伐しない様にと注意せよと、勿論山はよいが。
  軍の居る所は沿道、風致林の所は伐らすな。枯木は伐採してもよいと。
  農務を通して住民に通知せしめられたいと。若し通知を発して実行しない場合は指令を発すと。
 志喜屋知事
  クレーグ大佐及ドートリー大佐も帰米されるとのことであるが其他誰々が帰へられますか。
 軍政府
  クレーグ大佐、ドートリー大佐、ホーイ大尉、バーネット氏、ウイルソン中佐、ヘードン准将、参謀長外数名、ジョルダン少佐。キーリング中佐は十一月迄居残る。マックマン氏も遠からず帰へるだらう。
 志喜屋知事
  ヘードン准将の頭のサイズを知らして貰いたい。
  米国への留学生につき住民は喜んで居ます。
  其書類も軍政府へ来て居る様だがマック司令部から何とも来ませぬでせうか。
 軍政府
  マック司令部からは何とも来ない。スキウス氏が東京に行くから彼に話すかも知れない。
 志喜屋知事
  比島兵に関しクレーグ大佐から聞き貴下からも進言された様で感謝して居ます。
 ◎大城巡査の弔慰金の御礼を述ぶ。
  クレーグ大佐、ドートリー大佐は議会権限拡張は平和会議後と云はれたが先日の書類は其の積りであるや否や。又は会議前と云ふ意味か。
 軍政府
  平和会議前のことであると思ふ。
  此件はクレーグ大佐、ドートリー大佐も承知して居る。
 志喜屋知事
  民政府職員食糧増配方の御配慮に感謝して居ます。
 軍政府
  此件は軍でも協議して決定を見るまでになって居る。
 又吉部長
  社会事業部の機構は如何なりますか。
  ゲソリン大佐はラブリー少佐に伝へるとのことであったが。
 軍政府
  未だ何ともありませぬ。
上へ戻る