- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1948年01月28日
(昭和23年)
- 会議名
- 軍民連絡会議 1948年1月28日
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- 議事録
- 軍民連絡会議〔預金封鎖・食糧〕
一月二十八日(水)午前十時
出 席 志喜屋知事、島袋官房長、比嘉秀課長。
軍政府 ウイルソン中佐。
欠 席 又吉部長。
諮詢事項
志喜屋知事
貴下並にレートン中佐がワシントン政府に行かれた報告書を戴きたい。
軍政府
忘れて居ました。書いて上げます。
志喜屋知事
沖縄人が日本の信託や銀行に預金して置いた金が三千円以上は第一封鎖にして置くと取れるが、第二封鎖になると棚上げになるとのことでありますが、之を如何にかして方法を講じて戴きたい。
軍政府
今日本の法律が沖縄に適用出来ないから平和会議がすめば出来るから表を作って待って居られたい。
帰還者の所持金を制限したのもインフレーを防止するためで日本に残した金も将来は取れる。
志喜屋知事
昨日ホーイ大尉との協議については努力をします。
今後三ヶ月食糧を停止するとのことですが。
軍政府
何かの誤りだらう。私は存じませぬ。既に一ヶ年半の食糧は注文してある。此の三ヶ月内で配給機構を完備して配給せよとのことではないか。
志喜屋知事
住民はガソリン減のため戦争と思って居る者が居るが、而し私は之を取消して落付かして居ますが。
軍政府
戦争と関係はない。四ヶ月分纒めて来るので之が狂ふと現在の様になる。船が二隻暴風に遭った為めである。
軍政府
ワシントンに行ったのも食糧等の関係で行った。
決して沖縄人を餓死させる様なことはしない。軍政府で施行するには民政府の意向を聴してやる。
重大な件は軍政府も軽率なことはしない。
経済組織も案が決ったら知事に示します。
目下大島副事(ママ)と協議中である。大島、沖縄を一にしたい。
軍政府
村売店迄で補給部の管下に置くと云ふことであるが、私も賛成して居るが知事は如何思ふか。
志喜屋知事
それでよいと思ふ。
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