戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年01月23日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年1月23日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔基地・勤務時間・再渡航〕

  一月二十三日(金)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀課長。
  軍政府 ラブリー少佐、東通訳。
諮詢事項
 軍政府
  労務に関する指令二四号改正。
  開拓庁指令六号。
  宮古の選挙に関する書類。
  交通事故の件。
  当銘財政部長許可の件。
  帰還者所持金調査報告の件。
  台湾帰還者所持金交換に関する件。
  琉球銀行へ配車の件。
 志喜屋知事
  沖縄は米軍の永久の基地となりさうですか。
 軍政府
  永久の基地として出来るや否やは判然としませぬ。
  市町村長立候補が分り次第報告されたい。
 ◎軍の各部からもあったが仕事の時間を厳守されたいと。本日も十時になっても電話したが誰も居なかった部があった。
 ◎近日中に文書を持って通知します。
  軍政府でも時間については厳重にして居る。三分遅れた為めに三十分の遅刻になったことがある。
 志喜屋知事
  情報課は課として設置することが分りました。
 軍政府
  本日情報課の指令を持って来る積りでありましたが未製の為め火曜日に持って来る。
 島袋官房長
  官房内の情報課として置くですか。
 軍政府
  然うである。
 志喜屋知事
  軍カンパン労務者は選挙前日に帰省させられたい。
 軍政府
  其件につき軍政府でも手配して居る。
  選挙当日当直に当る者には不在投票も講じて居る。
 志喜屋知事
  米国、布哇、南米等から帰省した一世も渡航出来る様お取計を願ひます。
 軍政府
  再渡航の書類を持参して居る者は時期が来れば多分出来るだらう。若し斯る書類を持って居る人が居れば毎月初め一週間程度の滞在で副領事が来るから相談されたい。
 志喜屋知事
  ブラヂルからの書類によると日本は未だ敗戦して居ないと考へて居る者が居て救済品も送り難いとのことであるが、若し敗戦したと分れば救済品も最と来ると思ふが。故に帰国した者を早く渡航させて事情を知らしめたい。
 軍政府
  再渡航の書類を持って居るものは米国、布哇同様に願ひ出られたい。
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