戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1948年01月06日 
(昭和23年)
会議名
軍民連絡会議 1948年1月6日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔情報課・小包〕

  一月六日(火)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀課長。
  軍政府 ラブリー少佐、東通訳。
諮詢事項
 軍政府
  仔豚の価額に関する申請却下。
  西表時間外勤務賃銀支払許可の書類。
  大東島の砂糖キビに関する書類。
  交通事故の件。
 ◎日本の財団法人が取った金は今の所送金は出来ない。
 ◎保険・預貯金証書等沖縄人の権利を主張する様なもの、記録のないものまで集めて軍政府に提出を願ひたい。対日講和会議の資料にする。
 ◎台湾帰還者所持金が日本では交換されたと云はれたが、財政部長リース中佐に訊ねたら同中佐は全然知らないとのことである。
 志喜屋知事
  此件につき陳情書が出て居ますから翻訳出来次第提出します。
 軍政府
  ガソリン不足のため副知事と中城々址視察は延期する。
  普天間寺に金城氏が住むと云ふことに付てはライカムに申請したが未回答である。多分承認されるでせう。
 ◎救済被服は被救済者に配給した余分は一般の其れを必要とする人々に配給してもよいとのこと、係のマクラウド氏の同意を得ました。
 ◎博物館用のガラスの申請があったが、ホーイ大尉もジョーダン少佐も軍政府将校の立場では文化部へ譲渡することは出来ないとの事。温室用として余った分を民の農務・文化相互の話合で文化部の博物館用として使ってよいとの事。
  知事の方では日本へ留学生を送ることについて計画が出来て居るや否や。
 志喜屋知事
  資料を文教部で集めて居るが軍政府の指令を貰って居ない。軍政府の文教部へ折衝方を願ひます。
 軍政府
  沖縄にある全ラヂオ受信機の数を明日迄に報告されたい。
  民政府から提出した情報課の案については軍の文教・情報・総務部で研究中である。ストワード少佐、ホートン大尉の意見では過去に於て民の文化部は、其仕事の面に於て軍をよく援助し智的に均衡の取れた働をした。又村では社会教育主事がよく活躍してをり、文化部の組織は情報の仕事をやるのによい機構である。情報課の中に調査課同様文化部の職員も加へたら如何ですか。
 志喜屋知事
  研究して見ます。
 軍政府
  唯此件は予算の面では困ることがある。情報課の費用は復興費で支弁されるが、文化部の費用は民予算で賄はなければならない。
 志喜屋知事
  沖縄からの航空便は現在許可されて居ないが、公文等の急用の書類があるが公文のみでも許可さる様御尽力を願ひたい。
 軍政府
  急用の公文書類は私が世話して上げます。
 志喜屋知事
  日本からの小包郵便は現在許されて居ないが、日用品を沖縄に入れる為めに必要であるが許可になる様御尽力を願ひます。
 軍政府
  小包は許されて居ると思ふ。而し日本は米国から食糧と同時に日用品をも輸入して居るから沖縄の方へは送ることが出来ないのではないかと思ふ。
 志喜屋知事
  大島から来た芸術品の事についてお聞きになりましたか。
 軍政府
  近い中に詳しく聞くことになって居る。
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