戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年12月23日 
(昭和22年)
会議名
軍民連絡会議 1947年12月23日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔立札他〕

  十二月二十三日(火)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀課長。
  軍政府 ラブリー少佐、東通訳。
諮詢事項
 軍政府
  指令五四号(俸給令改正令)。天願倉庫機構も含む。
  富名腰氏承認の書類。
 ◎読谷の渡慶次・儀間は一定区域を許可したら許可外迄も耕作して居るとのことで飛行隊から抗議を申込まれた。若しきかなければ全部撤退させるとのことである。
 ◎ヘードン准将から『村・部落の入口の村名・人口・道路清掃の立札がなくなった所は元通り立てさせる様にと』のことである。
  民政府入口の立札も二つ共立てさせられたい。
  国頭の官山伐採は近日許可になるだらう。
 ◎旅館は食事付一泊何程でありますか。
 志喜屋知事
  クリスマスの日に知事・副知事が御挨拶に行きたいが吾等ばかりでよいか又貴下と共に行きますか。
  クリスマス当日は民の車も動く様御願ひします。
  上原警部の殉職弔慰金支出方を御願ひします。
 軍政府
  財政部とクレーグ副長官に相談します。死亡金は目下財政部と労務で研究中である。多分知事から提出された給与金が許可になるでせう。
 志喜屋知事
  山田社会事業部長からですが、救済者には配給したが一般の七才以下の子供にも配給させて貰いたいと。
 軍政府
  救済されるべき人に給与すべきもので一応社会事業部に話してみます。
 志喜屋知事
  大島からの骨董品の説明。所有者は向氏であるが同氏も沖縄に送りたいと云ふ意志であるが、大島の人々が送らさないとのことであるが。
 軍政府
  向氏の所有なら向氏の勝手である。
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