戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年11月25日 
(昭和22年)
会議名
軍民連絡会議 1947年11月25日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔耕地・肥料〕

  十一月二十五日(火)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉翻訳課長。
  軍政府 ジョルダン少佐、名城通訳。
諮詢事項
 志喜屋知事
  豪州からの牛は何時頃来ますか。
 軍政府
  軍政府でも待って居るが値段の関係か調査して見ます。
 志喜屋知事
  薪炭は農連で一手販売にやって居たが他の人々にも販売させて貰いたい。
 軍政府
  出来るだけ尽力します。食糧輸送の帰へり車を利用したいと申込んだがチェース大佐が反対して居る。
 志喜屋知事
  農務関係の復興費が通過する様よろしく御願ひします。副長官クレーグ大佐にも文書を以て御願ひする積りであります。
  モーアー少将が来られた時、農耕地を拡張する様にとのことでありましたが。
 軍政府
  此の件につきヘードン准将からも出来るだけ与ふる限り農民に還へせと云はれて居るので農務にも毎月五日迄で与へられた地域、使用する予定地、与へられたい地域等を報告させて居る。許可なった地域の未耕地の調査報告を命じて居る。
  現に軍の使用予定地として許可してない所を調査報告すること。
 又吉部長
  北中城の地域であるが耕作しないから美里村の与儀、比屋根が喜んで耕作すると云ふから此の権限を知事に与へて貰いたい。
 軍政府
  調査して知事名で提出されたい。
 又吉部長
  与儀試験場の未耕地を住民に一、二年で耕作させて後試験場の耕地にしたら如何なるものでせうか。
 軍政府
  私としては賛成である。沖縄では機械を利用し得る土地ではなく人耕でなすべきであるから耕してよいと思ふ。
  一定期間まで住民に貸すことに賛成である。
 志喜屋知事
  クレーグ大佐から農民に肥料を与へて居るが供出はしないとのことを云はれましたが、肥料を与へる時厳重な規則を出してよいでせうか。
 軍政府
  クレーグ大佐の云はれる所は肥料は殆んど無料でやって居るので施肥すると生産率が上る。25%が農民は闇をして居る。農家は非農家の境遇を考へなければならない。
 ◎目下肥料を凍結してあるが之は条件付で配給しやうと思ふ。
  農務の報告は日限通り報告せよ。若し報告が出来なかった場合は其理由を提出せよ。
  山羊は病院等に配給して住民に飼はして乳を収めることになって居るが之の報告は如何なって居るか。
  名護病院の山羊飼は乳を納入せず豚に与へて居るとのことである。何某が飼って居るか氏名の報告もない。飼主は乳を病院、孤児院に納入することを承知して居ると思ふが、報告がないので困って居る。
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