戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年11月21日 
(昭和22年)
会議名
定例部長会議 1947年11月21日 目録詳細 画像を見る
議事録
定例部長会議〔食糧・暴風被害・生産品〕

  一九四七年十一月二十一日(金)午前十時
  出 席 志喜屋知事、又吉副知事、島袋官房長、比嘉(善)、文教――山城、衛生――大宜見・池原、警察――仲村、貿易――宮里、文化――當山、司法――前門、農務――代理銘苅・嘉手刈、社会事業――代理稲嶺、開拓――桑江・仲原、通信――代理幸地、補給――代理西平、財政――代理當銘、水産――玉城、労務――當銘、工業――安谷屋、商務――糸数、工務――松岡。
  病 欠 企画課長、翻訳課長。
  速 記 島袋。
伝達並に協議事項
 島袋官房長
  軍との連絡会議の事項報告。
  1 ローターバーグ少佐より工業方面で特別な機械器具を発明したものに特許を与へる制度を設けて発明・工夫・意匠の奨励をしたらどうかとのお尋ねがありました。その事は早速工業部に連絡しました。
  2 文教部よりの依頼である。学校創立の件、来年からどうですかと問ふたのに対し、ローターバーグさんはよく知らない、調査してみるとの事でした。
   設備はやってゐる中に備はると言はれた。
  3 税収入、即ち民負担で民政府を賄ふなら議会の権限を付与してもらひ度いと知事が発問した処が、腑におちない様子でした。兎に角文書にして提出せよとの事でした。
  4 暴風のため火曜日の連絡会議は中止され、臨時に暴風後(水)フライマスさんがヘイドン准将の使ひで、暴風による人命の損害について早く報告するようにとのことで来られました。マ司令部に報告するからとのことでした。
 西平(補給部長代理)
  真和志に一、八〇〇カロリーの七日分の食糧を与へる。マックラカン氏より指令がありました。
  那覇市の被害六千三百名は五千八百名の誤りでした(五〇〇戸)。
  壺屋の倉庫、糸満よりメリケン粉を出してやる。
  それは一般住民の食糧だから天願倉庫から補給することになってゐます。調味料の味噌を工業部長にお願ひしたら製品がなくさしあたり一千斤のしほを出すとのことでした。
  那覇市長から天幕一〇〇枚の要求がありました。
  直ぐ出します。工務部長の許可を得てゐます。
  真和志の四〇枚は糸満から出ます。
 又吉総務部長
  那覇市役所は元刑務所跡に移ります。建築の事は総て建築課に任します。
 松岡工務部長
  フィリッピン部隊の跡(刑務所・武徳殿の跡)は文教部に使へとの事でしたが暫く落着きが出るまで保留します。
 又吉総務部長
  糸満町長の話でしたが、水稲五割、芋八割(水浸しのため)の害で野菜は全滅との事です。
 大宜見衛生部長
  西海岸は大した被害はありませんが、今帰仁の仲宗根の田圃の稲は病稲ではないかと思ひます。
 銘刈(農務部長代理)
  病気ではなく出穂の頃北風に会ふとあゝなります。
  多少授粉が後れてシラホになる様です。
 安谷屋工業部長
  工場は坂下あたり相当の被害です。最もひどいのは帽子会社。被害推定三〇万円。
 大宜見衛生部長
  診療所は被害はありません。
 山城文教部長
  学校はテント張の所は殆どやられました。
 仲村警察部長
  暴風雨等の如く天災が生じた場合関係職員、民政府職員等直ぐ出て応急作業に出るべきと思ふ。
  新里の大通りの出水のはけ口を作るため工務部職員らしき方方が数人出て作業してゐるのを見て無言の中に感謝しました。
  与那原の女の子の行方不明は昨日(二十日)朝、死体が発見されました。
 当銘労務部長
  二二六部隊カンパン住込炊事作業員の娘一人溺死したとのことです。
 島袋官房長
  首里署から一名溺死者の報告があります。或はそのことでせうか。
 玉城水産部長
  佐敷に舟の番人一人行方不明、勝連に船一隻沈没、人命に異状ありません。
 松岡工務部長
  軍から直接来て被害状況を聴取されました。予算(一七〇万円)は後でやるから直ぐ着手せよとの事でした。
 志喜屋知事
  各部被害報告を知事に出して下さい。
 糸数商務部長
  軍の船二隻、大島に出ましたが未だ不明。わかり次第報告します。
 大宜見衛生部長
  名護の安和の先にF・Sが一隻碇泊してゐますが。
 志喜屋知事
  今までに皆さんから聴いた事を総合すると、今度の風雨の被害は回復が遅いこと、水害の多いこと、地すべりの多いことの三点に帰してゐます。
 島袋官房長
  翌朝(十八日)軍から警報がありました。ローターバーグ少佐より午後は帰してよいとの事でした(民政府職員を)。
 當銘(財政部長代理)
  一九四九年度沖縄民政府予算編成方針(別紙)の説明あり。本週中に割当が済みますから来週月曜に各部の予算主任をあつまって貰ひます。金曜(二十八日)までに仕上げます。
 仲村警察部長
  警察費は一、五〇〇名の中三分の一は民、三分の二は軍負担をおねがひしてある。
 志喜屋知事
  戦前各官衙の上層部の官吏は国庫負担であったと述べ、教育費も税ばかりでは負へないとクレーグ大佐に陳情します。
 當銘(財政部長代理)
  物価高に依り生活費が上るので物価手当の支給等につき研究中であります。
 島袋官房長
  首里署管内の死者報告の件は、やっぱり牧港の件です。
 大宜見衛生部長
  首里は那覇地区病院に糸満は糸満地区病院に昇格します。結核病棟二五〇名収容、一九三六年(昭和十一年)一五七〇名の結核死亡者を出したことがあります。戦争のため重症患者は死んだので大分減ったが近頃また増える傾向です。
  精神病院、今までになかった。一〇〇ベッド要求中。狂暴の者丈けだと五〇名ゐる。日本の統計では一万人中二〇、――名となってゐます。
  レプラ患者の逃げる理由。
   一、食糧の少いこと(純配給のみ)。
   二、旧設備破壊され、現在の標準家屋なるものが不完全のため。
   三、慰問のために煙草、警察の没収品、社会事業部等よりの品を与ふれば、我々にさへこれ丈けあるから沙娑はどんなものだらうといふ気から逃亡、出て来て幻滅の悲哀を感じて悪るさをやらかす。
 當山文化部長
  大島は大いに力を入れ民間に殆ど一人も居ない状態です。
 宮里貿易庁委員長
  博覧会観覧の感想発表。
  陳列品豊富。商品化して大島商品に新しい方向を与へるとは考へられなかった。低物価政策成功か否か疑問。沖縄と一緒になりたがってゐない。鹿児島と直接取引を希望してゐます。
 糸数商務部長
  先週の金曜日チェイス中佐に呼ばれ、総・農・水・補・商の各部長、農連会長は九時軍政府へ参集。
  島内生産品の供出について協議しました。その報告。土地生産物は出廻ってゐるかとの質問に対し、大体において出廻ってゐますとの返答をなしました。
  自由販売に対してどういふ考へをもってゐますかと問はれたに対し偏在のおそれあること、主食以外の自由販売はよからうと返答、沖縄のものを上げるならアメリカ物資も上げねばならないとチェイスさんは言ひました。
  いろいろ意見をきいたが補給物資をとめるわけではないとも言はれた。モーア少将来島の折、沖縄は荒廃地が多い、世界的に食糧に困ってゐる時である。寸土でも耕して増産を計るように言はれたと注意されました。
  芋四〇万ポンド、魚六万ポンドを軍に出すようにとのこと。
 玉城水産部長
  出荷方面はどうかとの問に対して大体うまくいってゐると答へ、価格の問題は漁業者の方が喜んでゐないこと、芋、米、魚の価格統制撤廃を願ってゐることを答ふ。
 當銘財政部長代理
  補給物資は十一月三五%、十二月三〇%に減る。
  月々五%づつ減っていくらしい事をききました。
                    (終)

一九四九年度沖縄民政府予算編成方針

  一、一九四九年度沖縄民政府予算は一九四七年九月九日付軍政府指令「沖縄群島ニ於ケル租税ノ賦課ト徴収」第八項の規定に基き純行政費、即ち一般予算と其の他の事業費よりなる復興予算とに区分し編成する。
  二、復興予算に属する種目は左記種目並に之に類似するものである。
     総務部   土地調査費、キャステロキャンプ費
     農務部   備品費(試験場等の)、自給肥料奨励費、荒廃地耕耘人夫賃、種畜購入費、輸移入家畜事故及輸送補償費、防風防潮林復旧費、
     商務部   海運費
     司法部   終審裁判所費
     文教部   学校備品費
     工業部   西表開発費
     工務部   道路維持費、モータープール費
     通信部   電信・電話架設費
     社会事業部 託児所費、救済費
  三、一般予算三千万円、復興予算五千万円以内で緊縮編成する。
  四、新規事業は緊急を要するもの以外は認めざる方針。
  五、補助費、補償費、奨励費は努めて縮減する方針。
  六、市町村、民団体等に移譲し得る事業は此の際なるべく移譲する。
  七、一九四八年度予算額及決算見込額を新機構の各部に編成替へし、之を基本として縮減割合及事業性質等を考慮勘案して編成する。

  一九四七年十一月二十一日(金)午後二時
 軍政府副長官クレーグ大佐より知事、文化部長が軍政府に招致された折りの伝達・注意事項。
               通訳 比嘉外事課長
 クレーグ大佐
  マギー少佐(メソヂスト教の信者、前、石川ビーチに居られ、後に奥間軍保養地の係隊長)が米国に帰って最近クレーグに宛てた書信によれば、ビナードといふメソヂスト派の医学博士と協力して四名の宣教師を沖縄に送ることにした。彼等は主として医療の使命を帯びてゐて久志と奥間に病院を作ることになってゐる。病院の給料、其の他の準備もなってゐる。医療、医薬の準備もなってゐる。若しその外に欲するものがあったらと副長官と知事の意見をきいてゐる。
  四八〇箇の玩具類も送ってあるから着いたら、こちらで適当に子供等に配って貰ひたい。
  米国民は総べてマギーといふ人の様に沖縄に対しては民主的に考へてやってゐます。
  此処に来てゐる米国軍も軍事一点張りに考へてゐるのでなく皆、民主的な米国精神に則って沖縄の住民の指導に当ってゐるのだと言ふことを議会、教会、新聞、教育者団体等あらゆる機関を通して人民によく知らして下さい(ドートリーさんからの注意――助言)。
  こちらで、やらうと思ってゐて旨く行かず遺憾に思ってゐる点は住民への情報と教育である。その困難な理由は印刷機やラヂオや映写機や其他必要な資材・器具が無いためである。
  その困難を取除くために貿易庁を通して、それ等必要なものを取寄せる事にしたい。
  選挙には間に合はないだらうが、沖縄の人民を民主的に指導しようと思ひます。
  それから民主国としての米国だけでなく、その他の民主国の活動状態をも知らしたい。
  此の事は軍政府及び民政府の責任で大いにやり度いと思ひます。住民には自治の如何なるものかを教へねばなりません。例へば税金の用途、物の値段の制限、配給の制限、俸給等の制限をする意義、食糧の入手の道すぢ等を教へたい。世界的に食糧は不足ですから自給自足の出来る教育をして最大の能力を発揮して増産する事を人民に教へねばなりません。軍政本部の総務にそういふ材料蒐集の部をおきます。選挙前に人民の声を集めたい。沖縄人が民政府に協力する様にしなさい。そして情報の材料を民政府を通じて軍へ提出するように。
 クレーグ大佐
  民政府の仕事である物資の配給中、芋、魚は配給してゐない。肥料も農民に配給し、漁民には舟も与へてゐるが、配給せず闇に流して業者丈が太ってゐる。
  那覇の住民、病院の人々、民政府の役人、軍カンパンの人々は魚を取ったり、芋を作ったり出来ない。知事は之等の人々にも配給がいく様に計りなさい。
  軍政府が陸軍に移ってから癩病院、普通の病院等にも力を入れてゐる心算りだが軍の人が視察した結果、恥をかかされた。シーボルトさんが胡差の病院を見た。雨天ではあったが兎に角汚なかった。
  癩病院は軍政府からいろいろ貰ふ事はもらってゐる(必要以上のものを求めてゐる)が仕事はやってゐない。
  ドラム缶を千箇要求してゐる。あゝいふ調子では患者が可哀想でないですか。
  台所でも寝室でも洗濯をしてゐる。芋や残飯等を戸外に放置してありました。八月にコンセットの資材を送ったが建てたのは僅かで後は散乱してゐました。建物の責任者は誰ですか――松岡氏ですと答ふ。衛生の責任者は誰ですか――大宜見氏ですと答ふ。彼等は最近何時そこへ行きましたか――大宜見氏は度々行きますが、松岡氏は二、三回行ったと思ひます。
  知事は松岡、大宜見、當山、比嘉善雄さん達と早く其処を視察して結果を報告しなさい。
  何時行きますか――来週行きます。
  視察後二、三日したら報告しなさい。
  當山さんは宗教方面をどうするか見て来なさい。
  彼等は気の毒ぢゃないですか。
  知事は胡差病院も時々行って見なさい。
  名護の病院は屋我地へ行く時に見て来なさい。
  報告には建築の問題、水の問題、光の問題、住宅の状態、衛生問題、便所、台所等をどうするかを報告しなさい。
  癩患者には畑を与へて働かしなさい。何かやらさねばならん。
  暴風は案外被害も無くてよかった。知事のお宅も安全のようでしたね。
  當山さんにはヂープを上げるから宣伝に務めなさい。
                 ――終――
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