- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1947年10月24日
(昭和22年)
- 会議名
- 部長会議 1947年10月24日
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- 議事録
- 部長会議〔復興事業・行政改革・知事公選〕
十月二十四日(金)午前九時
出 席 志喜屋知事、島袋官房長、又吉、山城、仲村、平良、池原(衛生)、仲原(開拓)、牧野(司法)、安次富(社事)、貿易、文化、當銘(財政)、平田、玉城、當銘、糸数、安谷屋、松岡の各部長及代理。
協議事項
島袋官房長
軍政府連絡会議報告。
結社に関する布告が参りました。
情報課を設置すべく案を提出する予定であります。
知事から貿易庁の経費は軍政府支出にして戴きたいことを御願ひしました。
機構改革につき退職給与金を軍支出にして戴きたいことを御願ひす。
中城城址の件。
慶良間銅鉱ストックを日本へ輸出の御願ひ。
山羊が米国から一九四頭到着しました。
各部共復興費に属すると思ふものは早く財政部に提出されたい。
當銘課長(財政)
復興費に編成すべき事業につき軍政府との交渉の結果を報告す。
1 土地調査費
民有は今年度で終了し、来年度は軍使用の土地になるから之は軍政府支出にす。
2 キャステロキャンプ費用は軍政府支出。
3 農事試験場・学校備品は考慮して見ます。
4 自給肥料奨励費は考慮して見ます。
5 荒廃地は個人別に調査申請されたい。
6 種畜購入費は研究して見ます。
7 輸送中、死去せる家畜の賠償は研究して見ます。輸送費については如何なるものかと財政部でも思って居ます。
8 防潮・防風林費用はクレーグ大佐から民支出と云はれましたが一応又話して見ます。
9 海運費は大島・先島も含むから考へて追って回答す。
10 西表伐採費は軍支出にす。
11 電信電話の架設費は軍政府支出にし維持費は民政府負担とす。
12 土木費は研究中。
13 救済費は研究して見る。
以上述べた御回答でありました。
大宜見部長
医者の自由開業は今の所時期でないと思ふ。
糸数部長
行政改革につきての意見を陳述す。
1 部長辞任の覚悟を要す。
但し技術を有する部長は留任されたい。
2 部長辞めた後は民から委員を挙げて前後処置を講ぜられたい。
3 民間から人材を求めること。
4 退職給与金の件。
5 退職者の住宅の件。
6 機構を早急に作ること。
◎尚糸数部長の意見は全文別紙の通りである。
(糸数部長一九四八年四月十八日逝去。同二十日民政府葬)
志喜屋知事
糸数部長の御意見有難う存じました。
志喜屋知事
◎知事は公選すべきである。各部長は留任して公選知事によって処置さるべきと思ふ。
クレーグ副長官に陳情し、民政府行政費が自活になると公選知事と公選民政議員とによって運営やらるべきであると云ふことをクレーグ副長官に陳情したい。
クレーグ副長官からは自活予算のことも御話はありませぬ。選挙の件も何とも御話はありませぬ。
◎知事公選、民政議員公選をして後自活予算に入るべきことと思ふから皆様も然るべく御〔考〕へを願ひたい。
退職者の住宅、国頭官有林伐採、鉄道敷設等の件も陳情し、転職者の道を講じたい。
島袋官房長
各部長、各課長共退職願を提出されたい。
各部復興費に編入されるものは早く交渉したい。
糸数部長
予算査定の様にして知事、官房長、財政関係で各部長と仕事の範囲等を交渉してやらない限り困難と思ふ。
大宜見部長
機構改革は予算縮減のためとは考へないでやりたい。
糸数部長
住民から税を徴収することになると民代表を出さなければならない。
法律で許すべき権限と許されない権限がある。
當銘課長(財政)
軍政府は富籤も勧めて居る。
クレーグ副長官としては命令は出されないと。
平良部長
補給部を全面から考へると食糧費配給であるから復興費に入れたい。
松岡部長
車は日曜日は使用出来ないから御了承を願ひます。
一九四七年十月二十四日(金)定例部長会議に於ける商務部長糸数昌保氏意見
部長会議に於て発表す
四七・一〇・一五日闘病生活しつゝ之誌此度の行政・財政整理の問題に関しまして、私の意見を申述べさせて戴き度いと存じます。
出来るだけ簡単に申述べる積りではありますが、問題が問題だけに重大でありますので、多少の時間を要しますことを予め御許しを願ひます。
第一番目に申上げたいことは、今回の行財政の整理を断行致しますには、端的に申上げまして、先ず最初に部長の辞職を覚悟せなければならないと思ひます。
但し技術部長と特技を有する部長、私が茲で謂ふ特技を有する部長とは例へば語学の堪能の方々の如きを謂ふのであります。かう云ふ方々は中々得難いのでありますので乍失礼是非留任して貰って長官を援助して戴き度いと思ふのであります。
然らば何故に部長は辞めなければならないか、簡単に其理由を申述べます。想うに民政府の執行機関として責任ある地位に任命された者は各部長だけであるのは御承知の通りであります。課長以下の職員諸君は各部長が適任者なりとして採用し、部長の方針を忠実に執行して来た方々であります。語を換へて申上げますと、部長は全責任者であって、職員は事務官であります。此の見地から一考致しました場合、当然の帰結と致しまして、自分が適任者として仕事を任して来た職員を整理致しまする前に或は之と同時に事の如何に拘らず責任を明かにして先づ自分が退くにあらずんば此の整理は不合理であり且つ又怨嗟の的になる事は私が今更ら申上げる迄もないことであると思ふのであります。万一自分は居据って罪もない職員のみに十字架を負はさうとするが如きことでもあっては之は公人としての態度ではないと存ずる者であります。凡そ公の事を決定するには大義名分の上に立脚して、其の進退出所を明かにし以て之を解決するにあらずんば嘘であります。然して部長が退陣する時期は、各関係部の具体的整理を完了した後であると存じます。
第二に申し上げ度いことは、長官は「君が云ふ通りならば、私一人残って、更に苦しめ」と云ふ事になるではないかと、御考へになるかも知れませんが、御心配御無用でございます。即ち長官は部長が辞めますと同時に、間髪を容れずして、民間の有力者数人を招致されて、留任部長と共に其の善後策に就いて意見交換をせられ、其の方々を其の儘部長に据へられるのも宜し、又其の方々が就任を嫌がるならば、其の人達の推薦する方々の内から、長官がピック・アップされて決定する。又甚だ失礼な言分かも知りませんが、今日民政府のやって居る仕事と云ふものは細大洩れなく、一々軍政府の基本政策に基いて、其の命令を執行するのでありまするから、特殊の事務以外は、比較的簡単な仕事に過ぎないのであります。更に民政府設立以来一年有半にもなりますので各部の事務も夫れぞれ既に軌道に乗せてある筈でありますので、部長の仕事をやり遂げる手腕力量ある者は現職員中にも相当に居ることでありまして、何れに致しましても御心配は要らないと考へる者であります。
第三に申上げ度いことは、今日の場合、民間から人材を求めると云ふ事は、少なくとも現在主張されて居る所の所謂、民主政治実践の第一歩でなければならない。民間の声を採り上げるべきものは採り上げて、之を政策化すべきであると考へる者であります。
序に申上げますが、此の度の行財政の整理問題は見やうに依りましては之を契機とする一種の政変であると見ても宜いと思ふのであります。即ち内閣にたとへて申上げますれば第一次志喜屋内閣から第二次志喜屋内閣への、一歩前進した発展的移行に外ならないと私は見て居るのでございます。従ひまして何れ民政議会の整備も近いのではないかと思はれますので、此の際出来るだけ民衆と共に議会と共に連体責任を採る、沖縄民主政治の確立を期せなければならない秋に際会して居ると考へる者であります。
かやうな場合に処する為には勢、人事其他万般の事項に渉り脱皮すべきものは脱皮して、新味を盛りて、再出発し以て新沖縄建設当初の政治行政をして政治の公道を没却することなく進めて行くべきであると存ずる者であります。若し夫れ一歩前進すべき此の際、後退するやうなことでもあっては将来に禍根を残すことにならないか如何か、罷り問違へば末代迄で物笑ひの種子を振り蒔くのではあるまいかを憂へる者であります。
申し後れましたが、部長一人が辞めることに依って四〇〇円級、三〇〇円級の中堅職員が二人も助かる、もっと安い俸給取りならば三人も救へるのであります。斯くの如く観じて来た時、私の申上げる整理案も亦他に名案でもありますれば兎に角、さうでない限り一応筋道の立った止むを得ない方法ではなかろうかと存ずる次第であります。
第四番目に申上げ度いことは、整理される職員に対する善後措置を如何に採るべき乎と云ふ問題であります。行政整理と云ふ事は、口でこそ簡単に云へるのでありますが実際其の場面に直面致しました場合、それは難事業中の難事であります。実際やって御覧なさい。私は過去に於て再三その苦杯を嘗めた体験を有する者であります。そこで其の緩和策の一つと致しまして、私の貧弱な頭に浮びましたことは、離職する職員に対しては(勿論部長を除いてのことでありますが)少くとも現俸給に相当する二、三箇月分の離職手当を出して戴き度いのであります。昨日迄は共々に手を取って仕事に励んで来た者を止むを得ざるの手段に訴へる場合、出来る限りの温情を以て臨まなければならないのは勿論のことであります。先日長官から離職者に対する就職の斡旋に苦労されて居られると云ふことを聞かされたのでありますが洵に其の通りであります。
然して其の手当捻出の方法は色々ありませうけれども、何れにしても之は所謂予算技術に俟って勘案せらるべきものだと考へる者であります。又こう云ふ非常の場合、非常手段を採るの余儀なきに立至ったことを熱意を以て条理を尽くして軍政府にお願ひするのも一案かと存じます。
もう一つ之と関連致しまして、民政府の採るべき責任と致しまして離職者に対する住宅問題の解決であります。私は敢て民政府の責任と云ふ言葉を使ひましたが、と申しますのは、民政府首脳部は勿論職務上の都合に依ることではありましたが全職員に対し、民政府の所在する周辺の地に居住すべしと云ふ厳命を示達したのであります。多数職員は命を奉じて今迄居住して居た住宅を立退いて参ったのであります。
一旦職に離れた人達は、多数の家族を擁して、今後新しく生きて行く方策を樹てゝ行かなければなりません。さうして其の生活の途を講ずるに当って想像されることは、其の近親者か又はその知己友人かを頼る外はないと思ひます。故に彼等の便宜なる土地に世間並の標準家屋を与へてやらなければならないのではありますまいか。之は民政府が、去って行く者に対するお情けとして採るべき最後の尊い義務であらねばならないと考へる者であります。
第五に申上げ度いことは軍の指令に依りますと、此の整理案は十二月一日迄に提出すべしとなって居るのであります。十二月と云へば後三十日を剰すのみであります。三十日と云ふ日数は必ずしも長いことではないのでありまして、部長会議を数回も開きます内には直ぐ其の日数は消へて仕舞ふのであります。
でありまするから早急に具体案を纒めてかゝらないと間に合ひ兼ねるのではあるまいかを恐れる者であります。
而して其の具体案を樹てますには私が只今申上げましたような或いは私以上の御意見を持ち合せて居られるであろう各部長さん方の案に基いて整理の根本方針を決めてかゝらない限り幾度部長会議を開きましても纒りをつける事は六ケしいのではないかと思ふ者であります。此の根本方針さへ決まりますれば後に残る枝葉末節の問題の如きは事務的に解決出来ることだと考へる者であります。例へば今日の場合議論の余地がないと思はれまする。当然縮小されなければならない部課の存置廃合の如きも整理の根本方針さへ決まれば虚心坦懐に片付けられることであると考へる者であります。
尚、此の問題は出来得る限り早急に解決して、之を実施する時期を明確にして、夫れぞれ準備しておかないと日が経つに従って徒らに論議を複雑にして其の収取を困難に陥らしむるが如きは慎しむべき事だと存ずる次第であります。
第六番目に申上げ度いことは之は聊か私事にも渉りますことで甚だ失礼ではございますが一面本問題とも関連致しまするが故に申上げ度いと思ひます。
私は此の度の行政・財政整理に関する軍政府の指令の写を貰ひました晩、静かに之を熟読玩味して事の容易ならんのを感知致しましたので先づ此際私自身が公人として採るべき態度に就て考へたのであります。それは極めて簡単に直ぐ解決がつきましたので更に一歩を進めて全面的整理に関する私の意見を纒め度いと存じましてマラリアと闘ひながら憂鬱なる数日を過ごし、あれやこれやと思ひ悩んだ挙句、遂々到達致しました結論が只今申し上げました私見であります。
序にもう一つ之は私の事務の中間報告も兼ねるのでありますが、私が沖縄復興総合計画案の急なるを極力主張し、且つその取纒役を進んで御引受け致しましたのも一つには今回のように来るべきものが来て職を去るに臨み後継者に引継ぎし得べき民政府の政策の一端として、私の在任中に何か纒ったものを立案して之を残して置き度い、又一つには動々もすれば心なき世間の一部の人々が民政府何をしたかと云ふ問ひに答へ得る資料の一つとして是非之を急がなければならないと云ふ信念の下に私の良心の命ずるまゝを行動に移したのであります。
爾来各部と緊密なる連絡を採り、資料の蒐集に努めて居るのでございますが、私の病気も禍ひ致しまして一進一退中々容易の業ではないのであります。然かもその来るべき者は、私が予想して居た時期よりも早く参りました為に、不幸にして私の微力と時間の余裕に乏しくして中途半端のものになっては相済まぬと考へて居るのでありますが、若しさう云ふことにでも相成った場合は乍残念賢明なる後任部長に奇麗に御引継ぎして之を完成して貰はうと存じて居るのであります。
顧みますれば一九四五年の八月、諮詢会の成立以来長い間、長官初め部長各位御同様、苦難の途を歩いて参ったのでありまするが、殊に私の如き生来の愚頓の者と致しましては身分不相応に、恰も痩馬に重荷を課せられたかの感を深く致しまして、でも、つけ元気を出して辛うじて各位の騏尾に付して今日迄で喘いで参ったのでありますが、幸ひ今回の機会に恵まれまして、肩の荷が軽くなりますることに対し、一種目に見へない何物にか感謝し度いやうな気に浸って居るのであります。
希くば志喜屋長官は此際光風霽月、高所大所より断乎として其の所信に向って猛進せられんことをお願ひ申し上げまして、一先づ私の私見を打切り度いと存じます。
以上、失礼致しました。
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