戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年10月17日 
(昭和22年)
会議名
部長会議 1947年10月17日 目録詳細 画像を見る
議事録
部長会議〔復興予算・選挙・公有水面埋立申請〕

  十月十七日(金)午前九時
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長、松岡、安谷屋、平田、當銘、玉城、當銘(財政)、池原(公衛)、稲嶺(社事)、名嘉山(文教)、仲村、平良、前門、當山、糸数(商)、比嘉永、又吉、原國(貿易)。
協議事項
 島袋官房長
  十月十日復興予算外は自弁であるが各部から出した復興予算を軍政府に提出したら、ロータバルグ、フレイマス氏が来て、移動費は復興予算に入れよと。各部それぞれ復興予算に入れられたいと。
  十一日選挙に対する委員会を開いた(ホーレ大尉と)。
   1 病気のため権利無き者とあるのは削除した。
      例 屋我地愛楽園の如き者
   2 人名簿調製後も補助人名簿を作製することになった。之は選挙十日以前に選挙権を有する名簿を作製することになった。
   3 黒字町村から赤字町村への補填の件は総務部との意見が異って来た。
   4 ランプ及石油の配給をやると。
   5 中城々址を国立公園にしたら如何と。其対策を文書を以て提出せよと。
  国頭官有林伐採の件は文書を以て提出せよと。
  伊江島で去る十一日草焼のためから類火して補助タンク一七〇〇個を焼いた。住民に厳重に注意を達せよ。
 ◎公有水面埋立申請取扱の件につき。
  総務部で取扱って関係部と合議したら如何と思って居る。
  退庁時を厳守されたい。
 仲村部長
  予算の件で保安部長に軍事施設のある間は減員は出来ないがと云ったら、同部長は案を作って私から提出するとのことであった。
 當銘課長(財政)
  各部から提出した復興予算表をリース様に提出しましたらその回答に、総務の土地調査、キャステロキャンプ、農務・開拓庁の人夫、西表の伐採、以上は軍政府支出。道路修理費は民政府。農務自給肥料奨励費は民政府。社会事業費も復興予算に入れられたい。
  最後にリース様はクレーグ大佐と相談して回答すと。
 原國委員
  貿易庁でも全琉球に関係する費用は軍支出に願出て居る。
 比嘉部長
  道路・橋梁等の復興費は極力主張されたい。
 ◎布哇から豚疫血清液九万c.c昨日到着。約五〇〇〇頭分はある。
 安谷屋部長
  セメント輸入の事を知事からも請願されたい。
 比嘉部長
  燐鉱は日本では要らないと。
  日本から肥料一万噸は来て居る。
  船舶の都合日本から大量輸入は出来ないと。
  大東の燐鉱は沖縄で製造したいと思ふ。
  大東の燐鉱を選鉱しないで日本に送ったため品質不良と云はれて居るとのことである。
 松岡部長
  日本からセメント工場一台でも輸入して貰へば沖縄の需要は満たすと思ふ。
 又吉部長
  選挙を早く施行したいので十一月九日(日)に施行させて貰いたいと御願ひしましたら、軍政府はヘードン准将の許可を受けなければならないから期日は判然としないとの回答でありました。
 志喜屋知事
  現在退職者が出る場合は其欠員の儘で置いて若し已むを得ない事情があって補充する時は民政府内から採用されたい。
  各部長は各部員を来年三月迄で世話して貰いたい。
  御配慮を御願ひします。
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