戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年09月12日 
(昭和22年)
会議名
軍民連絡会議 1947年9月12日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔みなと村他〕

  九月十二日(金)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉翻訳課長。
  軍政府 レートン中佐、労務隊長、東通訳。
諮詢事項
 軍政府
 ◎比律賓から将官三人、来る月曜日に来沖する。火曜日に軍政府並に民政府を視察す。美術工芸品を御覧に入れられたら如何。約三十分間の滞在である。茶菓の準備もされたい。
  はっきりと分った時は月曜日に御知らせします。
 ◎渡嘉敷唯功氏が手紙を軍政府に送り又本人が来て困って居る。
 ◎大城孝五郎氏の行衛探しの件。
 ◎三和村近くで金城○○なる運転手が飲酒して小路を三五哩の速度で走らせて居た。
 ◎富籤の話をしましたが如何なるものか。
 志喜屋知事
  富籤については目下研究中であります。
 軍政府
  富籤は民主々義国に於ては殆んど行はれて居る。
 ◎大東問題は如何なりましたか。
 志喜屋知事
  レートン、ウイルソン両中佐及知事、副知事と協議して決定しようと思って居ます。
 又吉部長
  大東は縮小したいと思って居ます。石橋支庁長は辞めて後任に助役を挙げたいと思ひます。
 志喜屋知事
  労務者供出規程につき説明す。
 軍政府
  公休日はクリスマス一日、正月一日とあるがそれでよいですか。
 志喜屋知事
  正月は三日休ませて戴きたい。
 志喜屋知事
  新旧正月二日宛(大晦日・元旦)。
 軍政府
  日本の公休日を明日迄提出されたい。
  みなと村に問題が起ったが御存じですか。四、五人の労務者が労働者を集めて煽動して居る。みなと村の住宅は労働のために軍政府が作ったので働かない者は立退くことになって居る。一週四八時間働くことになって居るが而し三週間働かないために追出した。
  又吉部長によってみなと村は出来たが而し来る選挙で村を解体して那覇市にしたいと。斯る偽を云ふ者は米国の法律で許されない。
 又吉部長
  那覇市長がみなと村と合併したいと来たが、私は軍政府がみなと村は作ったのであるから軍政府の意向を伺った後でなければならないと云った。
 軍政府
  将来那覇市を立派にするために船は其材料を持って来るのである。知事・副知事は此の件を充分了解されたい。
 志喜屋知事
  八重山慰問団は来週土曜日迄で滞在したいとのことを願出て居ます。
 ◎日本からの帰還船入港日を知らせて戴きたい。
 軍政府
  船の入港の予定日は軍政府の海運課と連絡されたい。持参金の調査は船中では困難であるから桟橋でデ・デ・テーを撒布する時調査した方がよいでせう。
 志喜屋知事
  各部隊で労務カードを発行して居るので民労務部では仕事がやりにくいから一つのルートを通してやられたい。
 軍政府
  當銘部長と軍政府労務隊長と協議の上円滑に行く様にされたい。
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