- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1947年07月29日
(昭和22年)
- 会議名
- 軍民連絡会議 1947年7月29日
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- 議事録
- 軍民連絡会議〔文書類・梵鐘・大東島〕
七月二十九日(火)午後二時半
出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀平課長。
軍政府 レートン中佐。
欠 席 津嘉山課長
記録者 喜瀬事務官補。
諮詢事項
軍政府
文書類。
一九四八年第三期民政府予算に関する件。
軍政府司令第三四号、財政及商業取引に関する件。
学校関係使丁・コック・電気機械工、週五、六時間制勤務に関する件。
最高価額表第十二号。
同 上 第十三号。
軍政府指令第三十一号、酒の製造に関する件。
即決裁判所判事任命に関する件。
教員の俸給に関する件。
交通事故に関する件。
キャステロキャンプの近くにあるコンセットをホテルとして使用させる様申請があったが同申請は許可になった。
◎一両日中に元首里の寺にあった鐘が沖縄に来るが、那覇港に到着の時は直に引取ることの出来る様松岡部長と連絡を取って置かれたい。
◎本部町の分村は許可になった。但し条件として費用は分村した後でも現在の費用を超えてはいけない。同時に村長の名簿を作成して送って貰いたい。
序に三市三町四十六村を記入した行政区画地図が欲しい。
◎大東支庁の減員に就いては衛生部のレイ大尉が大東島へ行ったが、警察・衛生関係其他に就いても調査して適当に減員する筈である。出来るだけ最小限度に切りつめる方針である。
志喜屋知事
沖縄から大東への移民も考へられますが、若し然うなれば大東支庁の仕事も多くなる筈ですが。
軍政府
食糧の自給の建前から、多くは送れない筈です。
四、五百名程しか送れないと思ふ。
志喜屋知事
石橋氏の話によると三〇〇〇名は移住出来るとのことですが。
軍政府
大東は既に三〇〇〇名の人口を擁して居る。尚三〇〇〇名を送るとすれば家屋が不自由になるがそれを如何するか。其件に就ては来年ぐらいにした方がよいではないかと思ふ。現在としては沖縄の家屋を作るだけでも大変である。
◎明晩石川の一哩南方の海岸近くで比島兵が演習のため露営するが一般住民に通知されたい。
◎弾薬貯蔵地帯の耕作隊についてであるが、班長が確実に其班員を掌握する様によく達して貰いたい。
誰が班長かと聞いても分らない者が居る。又尋問された時、逃出す者が居るが、そんなことのない様に通知して貰いたい。
◎民政府から命令を発したら、それが行はれて居るや否やをよく調査して貰いたい。命令を発したらそれが行はれるのをよく監督することが非常に大切なことと思ふ。
◎先般新聞記者団が来訪の折民政府での会合は大成功であった。クレーグ副長官も非常に喜んで居た。
二、三の町村も巡視したが沖縄の村は清潔で排水もよくされて居り日本の一部や朝鮮での様な悪臭もなく非常に衛生的であった。
志喜屋知事
キャステロキャンプの職員は仕事の関係で日曜日も勤務するが其給料が支払ひを認められる様御尽力を願ひます。
軍政府
フライマス中尉に聞いて調べて見ます。
志喜屋知事
通信部に台風期間中夜間の通信当直員を置き其経費を予備費から出したいが、其設置を認めて貰いたい。
軍政府
調査して見ます。
志喜屋知事
金武の演習地に田地があるが後十日程で収穫が終る。それ迄で同地区で演習することなき様折衝されて貰いたい。
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