- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1947年06月27日
(昭和22年)
- 会議名
- 部長会議 1947年6月27日
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- 議事録
- 部長会議〔民政府部門縮小・バス経営〕
六月二十七日(金)午前九時
出 席 志喜屋知事、島袋官房長、松岡、安谷屋、平田、仲村、山城、又吉、當山、前門、平良、糸数、當銘、比嘉永、玉城、比嘉秀課長、桑江、山田の諸部長。
欠 席 護得久部長。
協議事項
松岡部長
民政府の部門が多いとの住民の意向であるが、部門が多いと云ふことに納得させる理由を検討されたら如何(部門を縮小したい意向である)。
平良部長
現在は軍政府指示によって出来たものであるからよいと思ふ(縮小せずとも)。
志喜屋知事
民政府から積極的に多くしたのでなく軍政府の命に依って作ったのである。
大宜見部長
各部の横の連絡を密にすれば部が多いと云って批判されてもよい。
又吉部長
民政府の設立の時、元の県庁の機構に作れと軍政府は云はれたが、当時委員の承諾を得て各部出発させるべくワットキンス少佐に話したらよからうと云はれたので各部出発をしたのである。
糸数部長
仕事に差支へなければ縮小してもよいと思ふが而し研究したら如何と思ふ。
比嘉部長
今直ちに縮小することは時期でないと思ふ。大宜見部長の意見に賛成である。各部の連絡を密にすればよいと思ふ。
山田部長
部長自身の錯覚か住民が錯覚かを判然とするのが提案者松岡部長の問題に触れるのではないか。
當山部長
各部の連絡を充分にすればよいと思ふ。将来は行政上から部を縮小することは研究する必要があると思ふ。
志喜屋知事
各部がやって居る仕事が沖縄建設のため不必要な部はないと思ふが而し財政縮小の時部の縮小も研究する必要はあると思ふ。
大宜見部長
戦前の県庁より人員は多くないと思ふ。
又吉部長
部が多いため知事命が行はれないから、如何にすれば命令が各部に徹底させるかのためであると思ふ。民政府が如何に強化して行くかを考べきである。
前門部長
沖縄の復興を急がなければならない。而して能率を挙げることを考へなければならない。
縮小するのが能率を挙るかを研究して行くべきである。
山田部長
諮詢会時代は立法府で今は行政府であるから結局縮小する必要がある。
比嘉部長
部の多少に不拘人の問題である。
仲村部長
部の多少につきては研究すべきである。
志喜屋知事
各部密接な連絡を取って又将来は研究しませう。
大宜見部長
知事が部長に対する態度は元の諮詢会時代の考へを持たれて欲しい。断固としてやられて欲しい。
松岡部長
バスの民政府経営につき料金は一哩二十銭乃至三十銭と。特別会計にする。
民営に移管しない理由。トラックは軍政府のものであるから民営には出来ない。
比嘉部長
鉄工所が民営に移ったが材料及引合はないことから農器具製作が挙らない。鉄材が支那に売られて将来困ると思ふ。
ブルトーゼーも有料制にするとのことで調査中である。
糸数部長
薪輸送用として三十トン七隻廻送を願ったら部分品が軍政府でもないから修理出来ないとのことである。聞けば支那に売ったと云ふ話がある。
當山部長
伊江島の視察報告をなす。
島袋官房長
宿直を設置する積りで食糧を補給部に願って居る。
構内のコンセットを割当てましたから当分我慢して戴きたい。
志喜屋知事
民政府に法制審議会を設置したら如何。
全部長
設置に異議なし。
山城部長
公文書を口語文に化したい。
全部長
異議なし。
仲村部長
通訳・翻訳官の辞める者が多いが防止方法はないものか。
◎ラヂオ聴取の件。スキウス様に話したら、ラヂオ機届出のない者は聞かすなとのことである。
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