戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年05月02日 
(昭和22年)
会議名
定例部長会議 1947年5月2日 目録詳細 画像を見る
議事録
定例部長会議〔予算・食糧配給〕

  五月二日(金)午前九時
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長、又吉、護得久、山城、當山、仲村、比嘉永、安里(工業)、池原(衛生)、仲原(開拓)、玉城、當銘、平良、平田、糸数、前門、山田、松岡の各部長。
協議事項
 島袋官房長
  教職員の転勤移転の場合も公的に出来ないと云って居るが。
 松岡部長
  公的私用であるからC・Pの間違ひである。
 仲村部長
  軍保安部の命に依って取締って居る。
 松岡部長
  食糧輸送第一に車を使ひ余力ある時に移転に使ふことになって運転手の通行証に用途を明記すればよい。
 島袋官房長
  軍連絡会議報告。
  一九四九年迄での各部の需要品は決定する迄で要求されぬ様にと。
  ヘードン准将、クレーグ大佐の官邸に博物館を設けたいと。
  工業・文化両部はよろしく取計はれたい。
 ◎副部長は名実共に其人を置きたい。
 護得久部長
  副部長は別に置いても予算は差支へないから別に置いた方がよい。
 島袋官房長
  天願のN・O・B(軍地区)の住宅税は財政部に質すと云ふことである。
  八〇〇万円以外の臨時費に付ては知事から副長官に陳情を提出せよとのことである。
  裁判所の人事は司法隊長と財政隊長と協議した方がよいと。
 ◎台湾帰還者の兌換に付てはレートン中佐は知らないと。
 ○ウイルソン中佐は上京し沖縄要求の補給品を接渉しに行くと。
  久米島の食糧陳情を報告す。
 糸数部長
  久米島には関係部から派遣する必要がある。
  離島用船を糸満倉庫に三隻やってある。
 比嘉農務部長
  去る火曜日ヘードン准将が与儀試験場を視察されて褒められました。
  ヘードン准将曰く、元一高女付近を耕作させたい。
  養蚕試験場も然り。
  部長は如何に思ふかとの問に対し、耕作させるによいことであるが該地は学校敷地及養蚕地があるから条件付で耕作させたい。
  北谷田園(海岸側)も一定の条件を付して早く移動させ度い。
 又吉部長
  比嘉部長のお話に依り該地の工業部は此際換地をされたい。
  学校敷地も首里方面に考慮されたい。
  屋宜原にある田地は北谷に耕作させたい。
 仲村部長
  中部地区の通行解禁に当って夜間通行があるので困って居る。
 比嘉善雄通訳官
 ◎来る六日(火)マッカーサー司令部から准将(ホックス氏)が来らるから視察の準備をして置く様にと。尚二人の司政官が来られて(一人は選挙、一人は国際通信の関係)選挙に関し指導するとのことである(レートン中佐談)。
 護得久部長
  一年一億円の予算に限定されたい。
  一週間内に提出せよとのことであるが各部如何ですか。
 全部長
  異議なし。
 山田部長
  食糧につき配給は如何なって居ますか。
  養老院、孤児院に於て三月分の配給が一、一〇〇カロリー乃至一、三〇〇カロリーしかなって居ない。
 山城部長
  社会事業の託児所と幼稚園とを合併する方法を考慮されたい。
 山田部長
  考へて見ます。
 志喜屋知事
  久場崎で女子用を相手に比島兵がダンスをやって居る様だが。
 仲村部長
  軍作業者に対し広告を出して一〇〇名以上も集ってやって居ると。
 松岡部長
  比島人は女を陥れるに巧妙なものであるから将来危険性があるから注意を要すと思ふ。
 比嘉通訳官
  私の米国での経験によると松岡部長のお話の通りである。
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