- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1947年04月23日
(昭和22年)
- 会議名
- 経済生活安定に関する協議会 1947年4月23日
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- 議事録
- 経済生活安定に関する協議会
一九四七年四月二十三日(水)
於知念高校
知事挨拶
本日は食糧需給を中心とする経済生活各般の事項に亘りまして、之が安定策の樹立と其の実施方に付き協議会を開催致しました処、斯くも多数の熱誠なる御参会を得まして茲に開会の挨拶を述べますことは私の最も光栄とする所であります。
顧みまするに昨年の四月、海軍々政府内令第二号に基き、之れ等諸政策実施の憲章とも言ふべき米国軍政府経済政策基本要綱の下に貨幣制度が実施せられ、通貨、物資、賃銀及価格等一連の経済活動が展開されましてより以来民政府に於きましては努めて各分野共緊密なる連繋を保ちつゝ総合的に政策実施の歩武を進めて参りましてこゝに一年を経過致しました。
其の間軍政府に於きましては沖縄再建と住民保護の為最善の御配慮を賜はり、吾々も亦微力ながら住民の福利増進に全力を注ぎ細心の注意と真摯なる心構へを以て只管沖縄復興に懸命の努力をなして来たのであります。
思ふに凡て復興、再建の事業たるや其の間緩急の順を把捉して夫々の適策を講ずべきでありますが事衣食住特に食糧の問題に関しましては応急、恒久共須臾も忽にすべからざることでありまして、日頃吾々が軍政府との口頭或は書類での頻繁なる交渉も大方食糧補給に繋がり全力を之に傾注して居る次第であります。即ち全島各地区、夫々一定率の補給を軍政府よりの輸入食糧に仰ぐのでありますが此の補給関係は島内生産食糧品の生産量を標準とするものでありまして、企図する所は自給を原則とする所定需要量に対する輸入食糧の不足補給であるのであります。
或は一般生産者の内前述の主客を顛倒して認識を誤り為めに輸入食糧のみに依存し生産品を供出せざる過誤に陥る者なき哉を深く憂ふる次第であります。
同憂の各位一同の努力にも拘らず直面する多様なる経済現象は必らずしも吾々が希求する光明の面ばかりではないのでありまして吾々の志向と反する事象、例之補給実量の相違、供出不応、予測し難き大量の通貨の急調なる回転、斯くて必要以上の窮乏感は利己心を駆りて食糧を中心とする深刻なる生活手段を惹起せしめ、インフレは住民相互を悲惨なる深淵に陥れつゝあるのであります。
然し私は今此の不安と動揺を安定と静謐に帰せしめ経済秩序を維持せんとする堅き決意の下に部落、市町村、地区、中央の各段階に委員制に依る即ち民官相互依存的なる協議体を組織し其の強力なる運営に依り物資需給の諸条件を整備し以て民政府の政策遂行の一基盤たらしめんが為め、曩に軍政府の承認を得て経済生活安定委員会規程の設定を見ましたが、之れに基きまして夫々該委員会を設置せんとするのであります。斯くて根本的には物資、通貨、賃銀及価格の循環的相関々係を適正に調整することを目標と致しまして刻下の急務はインフレの克服であり、食糧の需給調整であることを痛感するのであります。
之れは沖縄を再建して行く現過程に於て歴史的に課せられた重大任務であるのでありまして、此の重責を負ふて吾々は必死の努力を尽す覚悟を持たなければならないのであります。
何卒此の委員会は勿論我々の凡有組織をして「血と肉を有った生体」としての「生きた働き」を具現せしめて戴きます様各位の絶大なる御協力を御願ひして止みません。
斯く致しまして吾々は軍政府の意図する線に沿ひ吾々の自力の全てを竭して自主再建の荊棘の嶮路を突破して行き度いと念願する次第であります。
以上微力ながら私の決意の存する所を申し上げましたが何卒各位に於かれては諸般の事態を御賢察の上本日提出されます根本的並に応急的なる諸問題を真摯に御協議下さいます様御願ひする次第であります。
一言蕪辞を述べて挨拶と致します。
ウイルソン中佐挨拶(経済安定委員会に於て)
一九四七年四月二十三日
於知念高校
知事、経済安定委員並に来賓各位。
本日茲に沖縄の緊急なる経済を研究し、自給経済の推進のため進言をなす団体が出来ましたについて御祝の言葉を述べます事は私軍政府経済部長として欣快に堪へない次第であります。思ふにかゝる研究がなければ実行に取りかかっても終始一貫したところが無く、且つ指導を誤る恐れ無しとしないのであります。之問題をよく分析研究すれば賢明な結論に達し、常に建設的事業をもたらす所以であります。
私も諸君の二、三とは沖縄の生活程度を戦前に戻すと云ふ事に付いて種々問題に協力して参ったので此開会式に参列するのは私一個人としても喜んでゐる次第であります。
さて軍政府は経済的独立に邁進する各位の努力に充分なる関心を持って居るのでありまして、事実茲に我々が出席してゐますのも此目的達成を援助して上げたいからであります。我々の使命の実現は一に各位に御委せしなければなりません。我々は唯指導と助言と援助を致すだけであります。
今や本委員会を通じ各位は以前にも増して企画方面の発案権を握り得る様になりました事も結構な事であります。
各位の建設的御意見を心から歓迎するものであります。唯然しそれは民政府を通じてなされん事を特に御留意願ひたい。我々も知事其他の職員を信頼してゐるのでありますから各位も安心して夫々の経路を踏んで戴きたい。
農業、工業、水産業其他商業の各方面に於いて、已に幾多の研究が遂げられたので茲に其概略をかいつまんで申上げ更に将来の計画をも併せ述べたいと思ひます。
御承知の通り沖縄の土地は多く軍作戦により使へなくなり畜類も殆んど死滅してゐます。然し農業組合の指導と住民の努力に依って此の経済の中核も復興しつゝあり、又与儀試験場により耕作の改良も進められ昨年の夏、軍政府は機化部隊を提供して五千ヱーカーの植作に住民を援助しました。最近発足の開拓庁に依って大規模の米田転換も着手されてゐます。
今後五年を期して一人一日米四オンスを十分供給するのが狙ひであります。
大々的の畜類輸入並に島内種との交配なども計画されてゐます。其の完成には五年から七年は要しませう。又今計画されてゐる養蚕がうまく行けば全東洋に蚕種を十分供給し得るでありませう。二、三年内に其の為数千人の人が職を得るのみならず副産物として全琉球諸島の人々に「きもの」を差上げる事も出来ませう。現在の計画が実現すれば沖縄の農業生産は戦前のレベルに即ち食糧の全需要量の六十パーセントを確保し得ると思ひます。
土地は多く軍部隊に供せられ帰還者により十五万の人口が増へた今日此事は誠に意義ある企と言はねばなりません。尚又九十パーセント破壊された工業の復興も研究され、軍政府は工業民営の免許制を知事に許可し現在鉄工所を始め木工所、窯業、鋳物、瓦、煉瓦等一四三の私的企業が設立されました。小規模のものでありますが経済復興にとり欠く可からざるものであります。
統制と機械資材の適正配給とに依り生産増殖を期せんが為め近く工業組合も設立せられんとしてゐます。
生産方法の改善の為には工業試験場も計画してゐる次第であります。戦前の漁労団は発動機船七九隻を擁してゐたが全部破滅の憂目を見ました。軍政府は船舶、機具、燃料、修理施設を与へ漁業の復興に供したのであります。船舶八十隻建造の計画は今や完了してゐますが、これは直ちにその緒に就き一九四九年十月迄継続するものであります。
本計画の成否は一に物資の獲得に掛ってゐますが、日本々土からのもあり先島からのもあり又軍政府を通して為されるものもある訳であります。只今本部に於て構築中の製氷工場は魚類の冷凍に使用されますが一日十五トンの生産能力があります。機具類の支給、漁撈魚の配給は中央水産連合会と四三個所の各水産組合を通じて監督し統轄するのであります。
これらの完遂に当っては物資は米国陸軍あればこそ容易に獲得出来たものである。このことは念頭に置いて貰ひたいのであります。
今後も軍政府は精励獲得に努めるも、しかし交付は基盤を予算におくのであります。物品の公正なる配給を企図するに当りてはその他の必需品は割当配給組織にすることが必要でありました。現在これら物品は三〇〇を超える売店を通じて販売されてゐます。
売店は各市町村が経営し利潤は市町村費に充ててゐます。
俸給令が施行された一九四六年六月一日から売店を開設したのでありますが、土地生産物及び輸入物資の価格は一九四四年当時の価格に基いて決定しました。需要供給の平衡をとる為め必要な時には価格の改正もやりました。今や琉球列島四所の物価を調整して一本立にする措置も講じてゐるのであります。
物資の配給と云ふことに関連して私は各位に重大なる任務を課すものであります。
闇取引の抑制がこれであります。我が常態なる経済機能の上にこれの不健康なる発生を見ることは何も沖縄に限った現象ではありません。需要が供給を凌駕するとき、必ず発生する不快極まる行動である。
不可避なるが故黙認すると云ったものではないのであります。健全なる経済復興は一つにこの不法取引を効果的に減退させることに掛ってゐると私は云ふものであります。しかしこの広範囲に亘る脅威を抑制することの重大性を確信してゐる次第であります。
住民の幸福のために住民によって経営されてゐる前述の農業組合、水産組合、工業組合、開拓庁その他の団体の皆様に住民全体としての利益のためこれを敢行に協力されんことを切望するのであります。かくしてデモクラティックの社会の種子は植えられるのであります。
結びにあたり私は次の提言をなすものであります。
何かの申請で貴官を煩はす問題においては終極において最大多数の最大幸福を持来たすには如何にこれは取扱はるべきか、この問ひを最初に発するのであります。
この基本前提に立ってこそ各位の進言は正しい方向に出発するのであります。
私は各位の重大なる企てに成功せられんことを望むものであります。私は軍政府の経済部が上級官庁によりとられたる政策内では協力を惜しまないと保証するものであります。
御静聴を煩はし感謝する次第であります。
沖縄民政府創立一周年記念
四月二十四日(木)
◎本日沖縄民政府創立一周年記念
此の記念日は民政府知事として志喜屋孝信氏に辞令交付の日を以て民政府創立記念日とせり。
本日は記念日として休日。
午後一時より民政府に於てクレーグ副長官以下幕僚並に各部隊長の臨席を忝うし記念式典を挙行す。
沖縄議員も参列す。
式後祝宴に移り(酒なし、御茶肴のみ)余興あり(余興は各部より)当日志喜屋知事、クレーグ副長官の訓辞及又吉部長の答辞別紙通りなり。
志喜屋知事式辞
本日沖縄民政府創立一周年記念式典を挙行するに当り、クレーグ軍政府副長官閣下を始め、多数将校各位及び議会議員諸賢並にうるま新報社職員諸氏の御臨席を辱うし、茲に御挨拶を申述べる光栄に浴しましたことは私の最も欣快とする所であります。
惟ふに昨年の四月二十四日米国軍政府の寛容にして理解ある御考慮に依りまして、沖縄民政府の創立を見てより茲に満一年、今更感激の念を新にするのも皆様と御同様であります。過去一年間に於ける沖縄の変遷を顧ました時、如何でありませうか。彼の怖るべき破壊と窮乏は一時、住民をして茫然自失為す所なからしめたのであります。此の瞑々たる混沌の裡にあって、米国軍政府当局は寔に崇高なる態度を以て精神的物質的救済の限りを竭されたのであります。今日の此の復興成績こそ米国軍政府当局の吾々に寄せられたる御同情の顕れに非ずして何でありませうか。私は全住民を代表し更めて満腔の謝意を表明するものであります。今日沖縄の復興は其の実績誠に見るべきものあるは疑を挾みませぬ。然し乍ら其の前途は尚遼遠の感なきにしもありませぬ。吾々の将来には幾多の困難が横って居るのであります。
吾々は徒に米国軍政府の御同情に狎るゝことなく益々協力一致以て郷土復興に最善の努力を致さんことを切望して已みませぬ。観音論も抽象論も無用であります。個々の具体的実践こそ復興沖縄の礎石となり、そこから沖縄民族の本然の姿は浮び上るであらうことを確信し此の意義深き日に当って私の感激の言葉とします。
終りに米国軍将兵各位並に其御家族御一同の御幸福を祈って私の御挨拶を結びます。
一九四七年四月二十四日
沖縄知事 志喜屋孝信
訓 辞
沖縄民政府創立一周年記念日を迎ふるに当り住民代表に対し一言所懐を述ぶるは琉球列島軍政府副長官として欣快に堪へざる所なり。
今や既往を想ひ其の業績に鑑み併せて沖縄の将来を展望し以て計画を樹つるの秋なり。
顧みるに再建一年幾多洋々たる革新の起るあり。生計の要諦たる農業は望外の増産を見、開拓庁の耕地拡張実現せば更に食糧の生産は島内自給自足に寄与する所あらん。水産業も発展を続け住民扶養の一役を果すべし。工業又旧に復し民営移管に伴ひ事業は相次いで住民自身のものとなりつゝあり。
現沖縄民政府は沖縄人への政治を意図し一年前の今日人民多数の意志により創建せられたる軍政府は依然その統轄に任ずと雖も期する所は近き将来に於て沖縄人官吏を民主的に訓練し、多難なれども重要なる一国政治に当らしめんとす。かゝる時機到来の間離島と共に相互団結滅私奉公以て住民の啓発に将来の計を樹立するを要す。
沖縄住民の過去に於ける行動、態度及び団結は優秀なり。只だ沖縄の如き被害甚大なる国の復興に当りては要する日子、資金、努力、団結幾多あるを覚悟せざるべからず。
茲に於てか沖縄の平和的福祉を達成せん為来るべき数年相倶に一致協力せん事を希望するものなり。
一九四七年四月二十四日
米国軍政府副長官
歩兵大佐ウイリアム・エチ・クレイグ
答 辞
クレイグ大佐、軍政府諸公並に志喜屋知事閣下、僣越乍ら民政府職員一同を代表し答辞を申述べる光栄を得たことは私の欣幸とする所であります。
只今クレーグ軍政府副長官並に志喜屋知事より御懇篤なる御訓辞を賜り感銘を新にして居る次第であります。顧れば昨年四月二十四日は沖縄全住民に劇的感激を与へ、米国軍政府の理解あり同情深い御処置に依って志喜屋新知事が登場され、民政府の序幕が開かれたことは沖縄史上特筆すべき大事件でありました。同時に私共は責任の重大なることを痛感しました。其の間不安の念に駆られたことも度々ありましたが、軍政府が御親切な御指導と厚い御庇護を辱うし協せて志喜屋知事の高潔な人格と賢明なる御指導により、全住民の生活のレベルを高くすることが出来たことに依て私共に課された責任の一端を果し得たとの喜びを禁じ得ません。
さり乍ら私共は過去一年を振り返て冷静に反省するとき、軍政府の御不満、知事の御心配、フィルムの如く回転し衷心忸怩たるものがあるのであります。
私は沖縄同胞の幸福は先づ民政府の秩序を格し統一を強化するにあると信ずるのであります。故に私共は志喜屋知事統率の下に職員一致団結し理想郷建設に絶ゑざる努力を効し、以て軍政府に協力すべき誓を茲に新にしたいと思ひます。
終に軍政府諸公の御幸福と志喜屋知事の御健康を祈て答辞とします。有難う御座います。
一九四七年四月二十四日
職員代表総務部長 又 吉 康 和
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