戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年04月11日 
(昭和22年)
会議名
定例部長会議 1947年4月11日 目録詳細 画像を見る
議事録
定例部長会議〔建物・生活安定〕

  四月十一日(金)午前九時
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長、山田、糸数、平良、平田、當銘、玉城、比嘉永、山里(工務代)、松本(司法代)、當銘(財政代)、山城、當山、大宜見、仲村、宮城(工業代)、當間(総務代)の各部長、仲原(開拓代)。
協議事項
 島袋官房長(報告)
  ムーアー少将は今週は来られない。来週以後になると。
  民政府創立記念日休日の件(四月二十四日)。
  石油外日用品配給の件をお願ひしました。
  電気モーターの余分は民にも使用してよいとのことであった。
  車は運転手が持ち帰へることは出来ないと。
 仲村部長
  部落内に車を置く者は車を取上げよと軍政府から注意された故に見付け次第取上げることにする。
 島袋官房長
  親ケ原の建物の処分の件。
  二〇棟余分があるが内棄権十二棟で之は百名分教場に当て、残り八棟は親ケ原住民に充当す。
 志喜屋知事
  来る二十四日民政府設立記念日には軍労務者、輸送関係の人は休日なし。
 糸数部長
  生活安定に関する件。
 ◎農家非農家を区別して配給することをウイルソン中佐に質したら中佐はよからうと云はれた。
 ◎供出せざる時は配給停止をすると質したら、中佐は飢餓をしない範囲にやったらよからうとのことであった。
  四月十二日委員を任命し同十五、十六の両日委員会を開く。
  二十二日は島尻、二十三日は中頭・国頭の委員会を開きたい。
  委員になられる方は強固なる決意を以てやられたい。
 比嘉農務部長
  昨年五月は一二、〇〇〇エーカー。
  現在は四万エーカー耕作し、植付は其2/3と見てよい。
  今年は寒冷のため藷がなく蘇鉄を取って居る。
  一、七九九カロリーの配給は実施して居るや否や。
 宮城課長(工業)
  蘇鉄には澱粉が19%で其外蛋白及脂肪も含有して居る。
  十六貫で十三人の一日の食糧である。
  今の内に採取させた方がよいと思ふ。
 平良部長
  主食糧は懸念する必要がないと思ひます。
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