戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1947年04月08日 
(昭和22年)
会議名
軍民連絡会議 1947年4月8日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔民政府創立記念日・日用品〕

  四月八日(火)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長。
  欠 席 又吉部長。
  軍政府 レートン中佐。
諮詢事項
 軍政府
  明日午後一時頃雑誌記者来訪の予定である。
  部長にも会ひたい。
  薪炭及其他の物価表を渡す。
 ◎部長用のヂープの件(従来通り持ち帰へりしたい)につきては、シューメーカー中佐からクレーグ大佐に話したら満足の回答は得なかった。私からも話して見る。
  キャステルキャンプの件につき又吉部長のサインを要す。
  騰写版機十二台あるが一所で使用して居るか。
 志喜屋知事
  目下其の場所を作りつゝある。
 ◎マック司令部から一九四五年八月二十日以降知事から出した法律、命令、規程、諭告を六通宛報告提出せよ。
  ムーアー少将は何時来るか未定である。
  視察の沿道は生徒も出して歓迎させた方がよからう。よい感じを与へた方がよい。
 志喜屋知事
  四月二十四日は民政府設立記念日で休日にしたいが。
 軍政府
  金曜日に回答す。
 志喜屋知事
  石油、マッチ、糸、針、楊枝、歯磨等の日用品の配給方をお願ひします。
 軍政府
  副長官と相談して見る。
 志喜屋知事
  比島部隊と沖縄女とのダンスを置いてよい。
  警察では米人・黒人とのダンスも置きたいと。
 軍政府
  斯くなると人が足りるか。
  副長官も早過ぎると考へて居るが。
 志喜屋知事
  暫く研究することにします。
  奥田氏が米人墓に百合の花を捧げたいと云って居るが。
 ◎新聞記者団は来なかったんだが吾々は来沖することを歓迎して居たとのことを記者団に手紙を送りたいが。
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