戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年12月31日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年12月31日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔在京沖縄連盟・伊江島〕

  十二月三十一日(火)午後一時
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀課長。
  軍政府 レートン中佐。
諮詢事項
 軍政府
  麦の料理法の計画は結構である。実施されたし。
 志喜屋知事
 ◎東京に在る沖縄連盟から協力せよと来るが斯るものはマッカーサー司令部から軍政府を通して知事に来るのがよいと思ふが如何なるものか。
 軍政府
 ◎斯る書類はマッカーサー司令部から軍政府を通して知事に来るべきである。
 ◎マッカーサー司令部の許可なくしては何の効力もない。
  正月に次ぐ大きな行事は何時か。
 志喜屋知事
 ◎七月である。
  那覇港湾に四、五、六〇〇〇人の人が必要である。
 志喜屋知事
  六〇〇人は募集しつゝある。
  ヘードン少将の所には玉得嬢を遣すことにする。
 軍政府
  木曜日(正月二日)出勤で松岡部長とポーナード氏が会ふことになって居る。
 又吉部長
  大東の職員の家族を連れて行きたいと。
 軍政府
  此度の船では出来ない。既にキャステルキャンプに一〇〇人程居る。
  船は三、四日頃出る。石橋支庁長とガーン氏と連絡せよ。
 又吉部長
  八重山から森田氏外三人が来て居るが工業隊長にお会ひしたいと。要件は工業用器具等を譲り受けたいと。
 軍政府
  安谷屋部長と会って隊長と協議されたい。
 ◎レートン中佐の大工の件。松岡部長に交渉すること。
 志喜屋知事
  伊江島の先遣隊派遣方陳情の件。
 軍政府
  先遣隊は六、七人乃至十五人程一月十五日頃派す。
  建物は四〇〇〇人程収容出来るだらう。
  学校・役場等はある。
 ◎一月四日頃私(レートン中佐)が伊江島に行って視る。
 ◎一月十日、十一日頃伊江村長と私が面会して計画を話すことにする。
 ◎三和村の禁止区域に建築しつゝあるから注意を要す。
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