戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年12月24日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年12月24日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔移動・ハワイ引揚〕

  十二月二十四日(火)午前十時
  出 席 志喜屋知事、島袋官房長。
  軍政府 レートン中佐。
諮詢事項
 軍政府
  米国市民権所有者を調査すること。
  来る金曜午後一時から二時迄で連絡会議して其後那覇の荷揚作業を視察に行く。
  久場崎の慰労会にも出席す。
  請負のエンヂニヤから手紙が来て居るが労務者が余り働いて居ないと云って居るが。
  自己中心になって居る様に見える。
  那覇港での仕事は沖縄住民に影響する仕事であるから軍政府も民政府も注意を要すべきである。
  瑞慶覧に居る米国請負師の話によると個人々々を雇傭し団体としては雇はないと。
  一〇〇〇人程の労務者が要ると。
  コザ・前原地区の労務者を瑞慶覧方面の作業に使用したい。
 志喜屋知事
  喜舎場は移動してもよいでせうか。
 軍政府
  始めは全部移動とのことであったが一部移動すればよい。
  エンヂニヤとしては仕事の邪魔にならぬ様全部移動せよと云った。
  東京に沖縄の土地台帳があるとのことで貰って来る様に目下交渉を進めて居る。
 志喜屋知事
  布哇に沖縄人のP・Wが未だ残って居るや否や。
  若し残って居るなら帰へして貰いたい。
 軍政府
  皆帰へったと思ふが。
 志喜屋知事
  日本政府は帰へすことに努力して居るが、沖縄民政府は努力して居ないとの非難があるのでお質ね申し上げた。
 軍政府
  P・Wは握って居る国の勝手である。願ったから帰へすと云ふわけではない。米国は帰へす方針である。
  非難する人が間違であるからよく云ひ聞かす様にされたい。
 志喜屋知事
  麦食講習の件を提出す。
 軍政府
  報告はよろしい。直ちに実行せよ。
 志喜屋知事
  社会事業部及補給部の指令をお願ひします。
 軍政府
  早晩許可になるから仕事は進められたい。
上へ戻る