- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年12月17日
(昭和21年)
- 会議名
- 軍民連絡会議 1946年12月17日
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- 議事録
- 軍民連絡会議〔俸給改正案・食糧・帰還者〕
十二月十七日(火)午後二時
出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉翻訳課長。
軍政府 レートン中佐。
諮詢事項
軍政府
一週間に一回うるま新聞社から一人はP・R・Oで連絡を取って貰いたい。
何曜日がよいか。午前十時から十二時迄でに。
又吉部長
質ねてから回答します。
軍政府
米国外務省の支所が東京にあるが毎月一回来て五、六日滞在し国籍変更の者が居たら世話をするから文書を以て提出せよ。
戸籍につきて研究する様にせよ。
山城文教部長
学校の机・腰掛等につき設備して下さって感謝します。
本日特にお願ひしたいことは、今度の俸給改正案を見て変更のあることを知った。
改正俸給表の中で特に学校に関しお願ひ致したい。
特にお願ひしたいのは初等学校長及ハイスクール校長・職員の件である。
俸給表を提出す。
初等学校長は三六〇円、ハイスクール校長は四〇〇円である。
六〇〇円は10%、五〇〇円は20%で、ハイスクール校長は殆んど六〇〇円であるが之が四〇〇円になって居る。
ハイスクール校長は専門学校及大学出身者であり、初等学校長は三十年以上も教育界に従事した人々で勤務時間も八時半から五時迄で勤務して居る。
其他生徒の病気見舞や督促、又は文化部の社会教育迄で働いて居る。
今日迄で学校長は学校設備に苦心をした。
軍政府
此の俸給改正案は米国を基礎として作った。
日本でやって居た俸給表を作って願ふ様にせよ。
ワッキンス、ハナ両少佐は教員であったから教員に同情してやったであらう。而し今度の改正案は米国でやって居る案である。日本で今までやって居た標準等を書いて願ひ出よ。
クレーグ大佐も私(レートン中佐)も教育には関心を有って居る。
軍政府
米国からの食糧船が来て居るが米はなく麦が来て居るから其食べ方を指導する様にせよ。
志喜屋知事
食べ方は知って居ます。
軍政府
麦の食べ方を新聞に発表して指導されたい。
◎世界的に米は不足して居るが麦は豊富である。麦の食べ方の指導は何時なるか。
志喜屋知事
各地区から講習員を集めて講習させる。
軍政府
新聞や文書、講習等を以て食べ方を知らす様にせよ。
比嘉翻訳課長
宮古の通訳は城間氏に決定しました。
軍政府
赤十字からの慰問品の規定を作って取る様にせよ。
◎車を大切にせよ。取換が出来ないから。可然松岡部長に伝へよ。
食糧運搬のトラックにC・Pが人を乗せる。其人が降りる時食糧を盗み取る時がある。
C・P及運転手に悪い者が居て合議の上盗取るか。
注意を発する様にせよ。
一哩程の所からも学童が乗る時がある。
盗取犯人二、三人は挙げて見せる。
警察の運転手の事故はよくない。責任を取るべきである。
トラックは二十五人以上乗っては行けない。
米国の将校や兵が車を壊す時は弁償することになって居る。
二、三週間前大宜味方面をヘードン少将が通ったが掃除が行届いて居た。而し二、三個所は不行届の所もあった。
◎那覇港湾作業はよく行って居る。
◎新らしい仕事が出来るが仕事の鞍替をしない様注意を要す。
◎残り五千人程で帰還者は終了する。
久場崎の軍政府の備品はキャステロに移す様になさい。
本月二十日で久場崎は締切ってキャステロに収容す。
二十八、九日頃連隊に引渡す。
久場崎のテントは住民に払下ぐ。
◎布哇からの慰問品は社会事業課で受取るべしの指令を渡す。
志喜屋知事
松岡部長は那覇にモータープールの件を申請したが如何なったか。
軍政府
松岡部長が選定した所は沖縄全島のサプライの敷地になって居る。
第二敷地を選定する様にせよ。
志喜屋知事
薪炭は指令通り実施して居る。
軍政府
文書を以て報告せよ。
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