戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年12月13日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年12月13日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔機構・大東島〕

  十二月十三日(金)午後二時
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉翻訳課長。
  軍政府 レートン中佐外一名。
諮詢事項
 志喜屋知事
  翻訳部が官房の課に改正されて居るが。
 軍政府
  翻訳部は部である。軍政府の間違であった。
 志喜屋知事
  社会事業課が未発令で軍政府の機構には部になって居るが、之は諮詢会時代は部であったが民政府になって総務部に合併されたのであるが。
 軍政府
  知事は如何なる意見であるか。
  機構に知事の下に副知事を置いてあり又各部が総務部を通す意味ではない。
 志喜屋知事
  議会の議長は副知事がなるか。
 軍政府
  今迄での議長は誰がなったか。
 志喜屋知事
  議員の互選であった。
  社会事業部の件は軍政府にお委せします。
 軍政府
  知事の意見は如何。
 志喜屋知事
  部に置いてよい。商務部の用度課は指令は未だ来ませぬが部になりますか。
 軍政府
 ◎指令を出す。
 志喜屋知事
  海運課は如何なりますか。
 軍政府
  商務の一部として課である。部にしたのは軍政府の間違であった。
  米国の予算編成期は自七月一日至翌年六月三十日。
  之を七・八・九、一〇・一一・一二、一・二・三、四・五・六の四期に分けて居る。
 又吉部長
  東京の者で平井と云ふ者が帰還者と一緒に来て居るが之を帰へしたい。
 軍政府
  日本人と云ふ証明が出来るか。
  言語のみで証明はできないだらう。
  宮古にも来て居るが皆捕へて金網に容れて居る。
  (大東支庁長及同警察署長臨席)
  又吉部長は月曜日午前九時半エンヂニアーと会談すること。
  大東には二、三週間後にしてガーン氏が行くことになって居る。
  燐鉱採掘の機械や食糧を持って行く。
 石橋支庁長
  十月分の俸給や賃銀が未払になって居ますが。
 軍政府
  二、三日前許可になった。
 石橋支庁長
  半ケ年分の予算を貰って行きたい。
 軍政府
  二、三ケ月分は出来るだらう。
 石橋支庁長
  医者が居ないで困って居る。月俸一、〇〇〇円でも出せば居ますが。
 志喜屋知事
  西表までの様になくてもよいから大東の職員も全部待遇して貰いたい。
 軍政府
  食糧の事情は如何なるものか。
 石橋支庁長
  労務者は困って居る。
 軍政府
  燐鉱採掘の労務者には三、〇〇〇カロリー与へたが。
 志喜屋知事
  本島との連絡線の船は一ケ月二回程お願ひしたい。
 軍政府
  人口に応じて船は回航して居る。
 石橋支庁長
  二人のエンヂニヤ日本人が二人居るが帰へりたいと云って居ますが帰へすや否や。
 軍政府
  ガーン氏に一任す。
 石橋支庁長
  職員の沖縄との往復は無証明にされたい。
 軍政府
  職員は公務上よい。一般の住民は証明を要す。
 石橋支庁長
  大東に便船のある時は民政府にも知らされたい。
 軍政府
  二、三日前に知らす。
 志喜屋知事
  大東に行きたい者を送る様に取計られたい。
 軍政府
  一度には出来ないが次第々々に送る。
  罐詰類の最高価額決定指令を渡す。
 ◎クレーグ大佐の庭師瀬名波氏を月曜日から十日乃至二週間程雇いたい。
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