戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年11月19日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年11月19日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔那覇港・戦没遺骨〕

  十一月十九日(火)午後二時半
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉翻訳部長。
  軍政府 レートン中佐。
諮詢事項
 軍政府
  今後大東島から帰還する者に対しては、警察証明書、医師診断書及物資(関税関係)等につき注意をする様にされたい。
  日本からの物資は制限があるが大東から来た者は六〇トン程来て居る。闇市の恐れがある。
 ◎部長方は何時移管するか。
 志喜屋知事
  大工が居ないで修理が未だ出来ない。
  水も来ない様である。
 軍政府
  那覇港で働いて居る人々の上に将来那覇市長になるべき人物を推薦されたい。十二月十五日迄で。
  最高指揮者一人、港湾指揮者三人、補助三人。
  米海軍の将校と協力して沖縄人のみによってやって行く。
  目下P・Wを使用して居るが将来は沖縄人の手によって築き上げて行きたい。
  那覇住民を入れて彼等に那覇の仕事をさせる積である。
  帰還者収容キャンプに夜中に急用が起る時は軍政府との連絡のため夜勤を置く様にせよ。電話で通知の出来る人を。
  クレーグ大佐の住宅を修理した者は又倶楽部もやって貰いたい。三人の大工。
  十一月の最後の木曜日の感謝迄でに間に合はす様にやる考である。
  松岡部長に伝へる様にされたい。
 ◎屋宜原は第一線部隊近く迄で耕作させる様にせよ。
 志喜屋知事
  二ヶ年(来年七月より)の予算提出期日を延期されたい。
 軍政府
  来る金曜日迄では提出しなければならない。午前中までに。
  総務部の財産目録は何日迄で出来るか。
 志喜屋知事
  戦没軍人の遺骨につき取るべき人のない者は如何するか。
 軍政府
  マック司令部から何とも指令が来ない。
  若し来たら久場崎のキャンプの教会に安置してC・Pにでも守らして置く。
 ◎台湾から直接沖縄に来た軍人の氏名を報告せよ。
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