戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年09月30日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年9月30日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔復員軍人・帰還者〕

  九月三十日(月)午後二時
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉翻訳課長、比嘉善雄通訳。喜瀬氏筆記。
  軍政府 レートン中佐。
諮詢事項
 軍政府
  久場崎の港が使へないので船が那覇港に回航した。
  那覇から収容所に連れて来るのでトラックが沢山要る。
 志喜屋知事
  工務部長と連絡してやらせます。
 軍政府
  久場崎が使へる様になったら五〇乃至八〇のトラックが要る。
  大工小林氏外二名に関する件。
  金曜日に改めて会合させる事。
 ◎衛生上の見地から組織に就て考慮したらよいでせう。
  注意として禁止区域(NOB・RYKOM。第一飛行場等)へ出入してはいけない。たゞ村内のみである。
  道路に「何村の受持」とか云ふ様な標札を掲げて受持を判然とさせること。標札は日本及英語の両方で記す。
  大きな道路ではトラックを使用し、部落内等小さい通りでは馬車等を使用し十日に一回程やること。
  兎角沖縄を美しく衛生的にやらうと云ふのが此運動の主旨である。
 志喜屋知事
  直ちに実行しませう。
 軍政府
  知事の実行し易い様な案を作って来月の十五日から実施出来る様にしたら如何と思ひます。
  美化衛生運動の意味で特別によかった所は褒美を与へて競争したらよいでせう。
 志喜屋知事
  警察も協力させませう。
 軍政府
  工務部(土木課)は道路を管理するから之も協力するでせう。
 ◎復員軍人の就職に関する件。
  先に質ねられた復員軍人(将校)の就職に関する件は矢張り日本と同様に官庁に勤めるは出来ない。
  部と廨のトップ(長)になることは出来ない。而し之は当分の政策である。愈々帰へって来て、こちらで軍政府に対しても民政府に対しても忠実であり、法令上真に沖縄民であることが分ったら再考する積りである。適当であれば知事の方からも推薦して下さい。
 ◎此の帰還の仕事が終ったら村の村長とかの選挙が出て来るであらう。お知らせしておきます。
  帰還者受入につきて。久場崎の北側も出来るだけ解放して貰ふ様にストフコフ様を通じてお願ひして居る。
  外の二、三の所も解放して貰ふ様にお願ひして居る。
  十三号道路(久場崎・知念間)の近くは大分建設に従事して居る様である。
  定例連絡会議日程変更の件。
  軍政府は毎週月・金に連絡会議をやって居るが、月曜日はクレーグ大佐との会合があって都合が悪い。故に火・金にしたい。時刻は午後二時三十分から。来週から早速火曜日にする。
 又吉部長
  久場崎の所長からの御願ひですが、現在久場崎には百人の職員が居るが病人が多いので五〇人の職員を増して貰いたい。
 軍政府
  現在久場崎の職員は七五人ではないか。
 又吉部長
  百人です。
 軍政府
  キャステロは幾人か。
 又吉部長
  七〇人です。
 軍政府
  久場崎は百二十五人にして二十五人増しませう。
 比嘉翻訳課長
  久場崎で理髪師を使ひたいが如何。
 軍政府
  よいでせう。
  非常に奇麗に見える様に石も奇麗に磨いて下さい。
  来月から帰還者が八〇〇〇人に増します。
 比嘉秀平課長
  台湾から来ない様ですが、如何したのですか。
 軍政府
  支那政府は忙しいでせう。
  日本への復員者三、五〇〇、〇〇〇人を支那政府は有って居ます。満州や――支那から。
 比嘉課長
  現在翻訳課に兼本と云ふ二世がラヂオを残して行きましたが使ってよきや否や。
 軍政府
  使用してよろしい。
 又吉部長
  久場崎の歓迎の文字の書替へは完成しました。
  随分長い間かゝってすみませぬでした。
 島袋官房長
  松岡部長からですが民政府職員が入るために小谷、新里を解放して貰いたいと。
 志喜屋知事
  先日お質ねしましたら一部はよろしいとの事でしたが。
 島袋官房長
  おもろの研究で伊波普猷氏を呼びたいと文教部長シャーマン隊長が云って居られ知事も同意ですが、軍政府の意向は如何なるものか。
 軍政府
  一、二ケ月で沖縄人が全部帰還するが其人も帰へる筈だが其迄で待って居たら如何。
 又吉部長
  帰へるか否か判然としないが。
 軍政府
  意見を云ふと現在の案としては、知事から伊波氏へ書面を送り、伊波氏としてはマック司令部へ其旨を願ひ出る様にしたら如何?
  うまく行かなければこちらでも又然るべき処置を取らうではないか。
  第一に先方の意向を伺ふのがよいでせう。
 軍政府
  では明日私の事務所で二時半に会ひませう。
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