戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年09月27日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年9月27日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔都市計画・新聞・帰還者〕

  九月二十七日(金)午後二時
  出 席 志喜屋知事、又吉部長、島袋官房長、比嘉秀平課長。
  軍政府 レートン中佐。
諮詢事項
 軍政府
  帰還者の船は那覇に着いた。
 ◎軍事施設の所に全住民は出入せざる様警告を発すること。
 ◎住民の監視人には軍から賃銀を出す。
  大東島の日本人帰還者名簿は福島氏が持って居るが。
  本日日本への帰還者一五〇人、残りは次便で数日後になる。
  大東島も名簿が出来て居れば二、三日中に帰へすことが出来る。
  那覇の都市計画はエンヂニヤ(将校)がやって居るが北側の墓は如何するか。墓地の辺は市の運動場・公園等になるが。墓は移転するや否や。
 又吉部長
  沖縄は墓を重じて居るが暫く研究は出来ないか。
 軍政府
  一、思切って近代都市を作りたい。
  二、尊敬すべき所を歴史的に如何にするか。
 志喜屋知事
  移した方がよい。
 軍政府
  今でなく移転するとしても三、四年後になるだらう。副長官も知事の意見を聴して居る。
 ◎公報は新聞に記載して居るか。
 ◎新聞社長は瀬長氏になったが思想上知事を援助する人か。前社長よりよい人物か。
 志喜屋知事
  筆も立つし頭もよい人である。
 軍政府
  適材適所に置く様にせよ。外の者が困らない様にせよ。新聞人はよく掻き回す者が居るから注意を要す。
 又吉部長
  よく監督します。
 軍政府
  新聞はよく注意してくれ。又吉部長でよく監督する様にせよ。
  那覇人を早く送る所に措置せよ。又次々に那覇人が帰還するから。
 又吉部長
  明後日具志川に移動させる。
  久場崎の西側にあるテントを使用させたい。
 志喜屋知事
  住民地区にカンセットでもあったら其所に収容したいが。
 又吉部長
  テントがぐらぐらして住みにくいが。
 軍政府
 ◎住民が山から下りた時の小屋をよく了解させて我慢させよ。資材が来るまでぐらぐらするテントにも我慢する様にさせよ。
  本日の帰還者にコレラ患者が居る。二人の中一人はコレラで死んだ。一、二日試みて場合によっては日本に帰へすかも知れない。
 又吉部長
  財政部では所持金を調査するから二泊はさせたいと。
 軍政府
  数ケ月は松岡・又吉両部長が懸命にやらなければならない。
  受入れに違算なき様、町村長に話なされたい。
  台湾に一万人程居るが条件が悪いから早く帰へりたいと訴へて居る。軍政府から調査員を派す。
  沖縄は食糧条件がよくて感謝すべきである。
  渡嘉敷氏からの直訴の件。
  火曜日午後三時クレーグ副長官訪問の件。
 志喜屋知事
  布哇・沖縄間慰問品郵送方願の件。
 軍政府
  日本には商船が行くのを許されて居るから出来るのであるが。
 志喜屋知事
  住民が盗みをなす時其村や部落が責任を以て配給停止したらと部長会で決めたが知事の権限でよいか否か。
 軍政府
  一人の悪人のため多くの無辜の人まで苦しめるよりは其犯人を厳罰に処したら如何? 此件につきてはクレーグ大佐と協議して回答す。
  海外から来る者の中には悪い者が居る。
 志喜屋知事
  帰還者の中にも注意すべく、友人から私に書面があった。
上へ戻る