- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年09月09日
(昭和21年)
- 会議名
- 軍民連絡会議 1946年9月9日
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- 議事録
- 軍民連絡会議〔移動解禁・労務・愛楽園〕
九月九日(月)午後二時
出 席 志喜屋知事。
軍政府 レートン中佐。
諮詢事項
軍政府
七日、八日二、四〇〇人上陸した。久場崎に未だ残って居る者があるが。
志喜屋知事
行く先がなくて残って居ると思ふ。
軍政府
トラックがなくて残って居ると。昨今は都合よく運行して居るが。久場崎は五日程滞留して居るが。
キャステルキャンプは十袋のスポイルが混って居たから軍政府の補給部に行って取替へる様にせよ。
◎前比嘉亀氏にブラジルよりの手紙を手交す。
◎公共の建物は軍政府の工務部長から民政府の工務部長へ知事を通して来る。
◎日本に行く人名表は出来たか(二六三人分)。
◎九月十五日迄に日本行の人々を久場崎に集めて五日間は検疫のため滞留させ、多分二十日乃至二十三日頃出発するだらう。今度は二四四人、十九名の追加は後廻はしにする。
◎読谷山は移動開始になる。明日係将校がきて詳細は話す。
◎来週の始め頃具志川の一部、与那原の一部が移動出来る。
知念への移転延期につきて。知事の勧めにより或は一ケ月後になるかも知れない。
◎日本から釘及五〇〇万ボールト呎の資材が来る。
◎本部にある船の修理は出来ない。軍政府へ渡すや否やは判然としないが若し渡したら民政府に渡す。
志喜屋知事
米国の年鑑の中に沖縄戦闘記があるが之を翻訳して一般に知らしてよきや否や。総務部で訳してあるが。
運転手の違反者が多くて、之を取締るに罰金過料にしたいが如何? 米国の法規に準じてやりたい。
◎軍人は日本では官職に就くことはできないと云ふが沖縄に居る沖縄軍人は如何なるか。
軍政府
◎沖縄も日本と同様なるや否やを調査して見る。
志喜屋知事
胡屋朝章先生は二、三週間程休養させて貰いたい。
◎栄野比の憲兵隊本部は久場崎に移転すると云ふ話を聴いたが其後のモータープールを民政府に払下げて貰いたい。
軍政府
クロンボ部隊を三、四十日間栄野比に集結させ、一、〇〇〇人は米国に三千人は伊江島に送る。
憲兵隊の移動は一時的である。
志喜屋知事
日本からの帰還者が多いがクロンボー部隊の代りに若い青年達を使って欲しい。
軍政府
二、三ケ月はいくらでも人が要る。
軍政府の労務部に四、〇〇〇人程の人が要ることを要求して来た。
モータープールの必要なことを副長官に伝へる。
P・Wが帰へるが其代りに頑丈な労務者を送って欲しい。中には怠惰者も居るから注意を要す。
志喜屋知事
大工組合は出来た。競争させる様に組織した。
又吉部長
具志川の海岸に那覇人五〇〇〇人を収容する余裕があるが。
軍政府
海軍のもので未解禁である。久場崎付近も近日解禁になるが。
志喜屋知事
三浦の方で水がなくて困って居るが。
軍政府
海軍の施設した水道は仕事上止めて居る。
軍政府と民政府工務部と協力して井を掘らす様にせよ。
志喜屋知事
復興計画案にも該件を編成してあるから早く許可をされたい。
軍政府
未だ上層部から許可が来ない。
又吉部長
久場崎近くを早く解禁して貰いたい。那覇人を収容したい。
軍政府
水につきては機械等も壊れ従って自然の水源地を利用しなければならない。
志喜屋知事
屋我地愛楽園長に対する訓戒を文書にして提出す。
軍政府
愛楽園長の行動は戦時なら死刑であった。
志喜屋知事
園長早田氏も軍政府の措置の寛大に感謝して居る。
学校の位置は三和村や読谷山等の移動等で決定し兼ねる所もあるから少し遅れる。
軍政府
首都及其他の問題は後二、三年もかゝるだらう。
軍が確保する所も決定しなければならない。
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