- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年09月06日
(昭和21年)
- 会議名
- 軍民連絡会議 1946年9月6日
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- 議事録
- 軍民連絡会議〔移動解禁・知念への移動〕
九月六日(金)午後二時
出 席 志喜屋知事、又吉部長。
軍政府 レートン中佐、ラブリー少佐。
諮詢事項
軍政府
野崎夫人は残念ながら出来なかった。移転後又お願ひす(クレーグ大佐の家庭婦として)。
志喜屋知事
適当な人を世話します。
糸満に並里と云ふ者が居て英語も上手とか。
軍政府
久場崎・キャステルキャンプから各村に送りたいがトラックが行って居ない。滞りなくトラックを出されたい。
◎波止場から上陸までは軍政府が命令し帰村は民政府で輸送す。
志喜屋知事
受入所長からの命により車を出すことになって居る。
軍政府
読谷山は近い中に解禁するが回答は来る月曜日にす。北谷も嘉手納付近二、三の部落は解禁になる。
久場崎の歓迎板の書方は都合が悪い(U・Sの略字でなく書す)。
三和村の太田校長は証人として呼出さる。其時は出頭すべく通知を発して置く(又吉部長直接私から伝ふと云はる)。
◎津堅島の前比嘉亀の住所を調査すること。直接私(レートン中佐)と面会す。
志喜屋知事
前原警察署に依頼す。
軍政府
南米からの手紙を転送依頼す。
又吉部長
屋嘉のP・Wの居た所は米人が居るが其隣に住民の家屋を建設させて貰いたい。
軍政府
相談して回答す。
又吉部長
クレーグ大佐の庭作の状況を聞く。
軍政府
段々よくなる。
松岡部長
本部に在るM・G五号を民政府で使用せよと云はれて居るが汽罐が悪くて使へないから返上します。
軍政府
月曜日に回答す。
松岡部長
知念への移動も部員の住宅がなくて困って居る。
軍政府
よく考へて見る。日本からも材木取寄中である。
◎知事は副長官の指令に依り愛楽園を解体したが其訓戒を英訳して提出する様にせよ。
志喜屋知事
送りますが早田氏は米軍の服装をして居るので若し其儘帰還したら日本で脱ぎ取られると。然うなると彼氏は困るから其件につき交渉して貰いたい。
一週間か十日程経つと日本人は帰へす。一週間は種痘をさせたりする。マック司令部の命により帰へすので、金銀、宝石等の携帯は出来ない。通貨は一、〇〇〇円以下になって居る。
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