戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年08月30日 
(昭和21年)
会議名
部長会議 1946年8月30日 目録詳細 画像を見る
議事録
部長会議〔食糧・金融〕

  八月三十日(金)午前九時
  出 席 志喜屋知事、護得久、當銘、玉城、山城、平田、仲村、比嘉、前門、糸数、文化(代理)、又吉、大宜見、安谷屋、工務(代理)の各部長。
協議事項
 志喜屋知事
  軍政府よりの注意事項。
  具志川の海岸から電柱を盗み出されたとのことで軍政府は海軍から抗議を申込まれたとのことである。注意を要す。
  昨日もクレーグ副長官自身が来て海軍と陸軍との間に問題を惹起したとのことである電柱の件で。
  其調査のため真珠湾から来つゝあるとのことである。
  ジープの乗員超過の違反があるとのことである。
  運転手の監督権は元通り警察に任したら如何。
 比嘉部長
  民政府の仕事(与儀試験場)をやって居る労務者が自動車転覆のため怪我をして居る。斯る者に対しては民政府から慰藉料を与ふべきと思ふが。
 志喜屋知事
  慰藉料を出すべきものと思ふが財政部は如何。
 護得久部長
  官房の方で其規程を作って貰へば支出します。
 大宜見部長
  日本語で交通標を立てゝ貰いたい。
 仲村部長
  工務の方で疾くに立てることになって居るが。運転手の監督は其身分の根本からしなければならない。免状の付与等も警察に移さなければならない。
 志喜屋知事
  クレーグ副長官は運転手が休んで居る時は車の手入をして寿命を長く保たす様にとのことである。
 ◎残存奉安庫に対し子供等が礼をして居るが取除くや否やと聞かれた時、私は取除きますと回答したが如何にするか。
 全部長
  取除きに異議なし。
 志喜屋知事
  工務部に取除き方を致します。
 文化部
  シャーマン中佐は奉安庫に芸術的のものがあったら一つ取ってきて博物館に置く様にとのことであるが。
 又吉部長・島袋官房長
  奉安庫に芸術的のものはないときっぱり話した方がよい。
 志喜屋知事
  ホーイ大尉との連絡会議の報告。
  沖縄・大島・宮古・八重山を一組として日本と貿易をしたい。而して貿易委員会を設立する。
  大東島から砂糖三〇〇トン、燐鉱一二、〇〇〇トンを送ったが沖縄には損をさせない。
  九月五日頃日本から燐鉱を取りに来るとのこと。
  此の冬に日本から肥料一、〇〇〇トン送るとのことである。
  燐鉱は総て日本に送る。
  以上はホーイ大尉との連絡会議事項。
  日本から離島に船が来て物資の闇行為をして居るとのことだが其取締りを厳にして貰いたい。
 護得久部長
  大島・両先島の通貨を沖縄と別個にしたら物価を押へることが出来ると思ふが。
 志喜屋知事
  文部省から出た冊子の一部分を朗読され沖縄人の思想につき参考とすべき点あるを促がす。
 護得久部長
  保険・預金・貯金等の調査につき日本へ派遣したい。
 護得久・大宜見両部長
  軍政府の離島行の船が不親切で困る。
 ◎大東に残留して居る人々の安否を伺ひたい。
  大東残留者、福島・新垣両氏の外一名。
 大宜見部長
  宿直員は責任を以て勤務する様注意を発せられたい。
 志喜屋知事
  石川の有志の方から民政府の居留りを陳情したいが如何なるものかと来ましたから効果はないと思ふがと返事はしたが如何するか、阻止することもいけないだらう。
 糸数部長
  食糧配給につき食べ方の知らない物の代りに外の物を配給して貰いたいとの陳情が大里村から軍政府直接に行って居る。若し食べ方の知らないものは商務部まで提出されたい。
 大宜見部長
  軍が民政府の許可なく労務者及医師、看護婦を雇ふものが居るから軍政府にも斯る事なき様進言されて欲しい。
 護得久部長
  金融非常措置につき。
  九月一日から十一月三十日迄元通りにやる。マック司令部の指令による。違反者は軍事裁判に訴へられる。
  元金没収預金は先般の交換表によって行ふ考へである。
  俸給は封鎖外か否かにつき指令にはないが私は封鎖外にしたい。日本では封鎖外は五〇〇円までになって居る。
 又吉部長
  私用で女の人が通信部の車の利用が多いが各部長もお互に考慮すべきと思ふ。
 糸数部長
  各部長も公用外は証明書を出さない様にやったら如何。
 志喜屋知事
  幾度も公用外は乗せていけないと云ふことになって居るが。
  帰還者から彼等の感想や要求等をお聞きなったら御報告されたい。
 又吉部長
  徳永氏から現金隠匿者が居るとインフレーの恐れがあるから民政府を援助したいと。
 仲村部長
  若い者に聞くと仕事の心配をして居る。
 山城部長
  思想が利己的の人が多い様に感じた。社会指導の必要がある。就職問題である。
  一面には協力して建設に邁進したいと云ふ青年も居る。
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