- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年08月23日
(昭和21年)
- 会議名
- 軍民連絡会議 1946年8月23日
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- 議事録
- 軍民連絡会議〔帰還者・民政府移転問題・通信〕
八月二十三日(金)午後二時三十分
出 席 志喜屋知事、又吉部長。
軍政府 レートン中佐、外一名。
諮詢事項
軍政府
台湾から本日三〇〇人着(之の件は後になって無事実)。
二十二日日本から六隻出帆。二、二〇〇人。
着陸の一、〇〇〇人は本日から解散送還。
十五台のトラック要求に七台しか来なかった。
伊波にあるコンセットは二つは首里ハイスクールに、四つは伊波の学校に。
◎残存の奉安室を壊す様にさせること。
◎喜屋武の方は住民立除きであるが耕作は許される。
◎但射撃の時は立入禁止。
◎西原は其代りに住民地に許可す。
◎テントは応急措置として何時でも出し得る、又来つゝある。
◎七倉庫に送って置く。
◎生徒は腰掛のみで机はないで気の毒だから三個程見本を造って欲しい。
知念の倉庫は移転開始して居るが其職員も倉庫付近に移す。
民政府は九月末頃移転出来るだらう。
志喜屋知事
首里・那覇付近に民政府を移したら如何との話もありますが。
軍政府
遠くはないか。
コンセット等を住民が取壊して居るが厳に取締って欲しい。斯るコンセットは公営の使用物にやられたい。
公営のものが便利に運ぶ様に建て直す様に移す。
例 モータープール、学校、役場の如き。
産業・工業等の如きものも何所に持って行くかを考へて見よ。
屋我地へはレートン中佐及軍医が来週行く。
◎早田氏は日本に帰へした方がよい。
志喜屋知事
家坂氏が園長になる様である。経験家である(愛楽園長)。
軍政府
大宜見部長、軍政府との連絡は明日はない。若し又大宜見氏が用があれば来ても差支へはない。
志喜屋知事
一般住民から在日沖縄人の安否伺ひが来るが取扱って下さるや否や。
軍政府
沖縄・日本間の通信は出来て居る。近く実施されるだらう。
志喜屋知事
はがきのみ出来るのでせうか。
軍政府
手紙も出来る。
志喜屋知事
日本に帰へる人々は此の船で帰還は出来ないでせうか。
二五人は待って居て、又其後も続々と待って居る。
軍政府
一週間後になるかも知れないが連絡して見る。
志喜屋知事
大島のP・Wも送還させる様お願ひす。
軍政府
文書を以て出身地等を記入して提出せよ。
志喜屋知事
カナダに居る日本人は送還されたが、沖縄人は送還されない様願ひたい。
軍政府
カナダのことは知らない。
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