戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年08月12日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年8月12日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔帰還者・食糧〕

  八月十二日(月)午後二時
  出 席 志喜屋知事、又吉部長。
  軍政府 レートン中佐、ラブリー少佐。
諮詢事項
 軍政府
  明日の受入演習にはクレーグ大佐も見える。
  日本から来る船を歓迎しなければならない。
  船の来る日は知事始め各部長と共に迎ふべきである。
  帰還した人々に気持ちよく与へるべきである。
  新聞記者に撮影をさすべきである。
  米兵が帰へる時は歓迎の辞を掲げると同様に、受入れの港に掲げる。
  十五日に二隻の船が日本を出帆す。土曜日に着く。
 志喜屋知事
  市町村長には歓迎の意を表すべく通知して居る。
 軍政府
  歓迎の準備(看板)は出来るや否や。
 志喜屋知事
  出来る。
 軍政府
  大きなコンセットは湯茶の接待所。
  スキュース氏を通して警官の制服の要求があったが、日本・比島から取寄せるが目下努力中である。
  常設受入事務をS・O・Pと呼ぶ。
  受入事務内容の文書を渡す。
  八重山の高石・仲里両氏は明日午前九時半リース中佐、ブチャー少佐と軍政本部で会ふことになって居る。
 志喜屋知事
  比律賓からのP・Wは警察で調査中である。
  南部方面は生産食糧なく藷の買出に国頭方面に行くが暫定措置として藷の公定値を考慮して村長対村長の合議で需給させたい。
 軍政府
  ウイルソン中佐に諮られたい。
 志喜屋知事
  米国食糧が遅配なり勝であるのは天願倉庫からの積出機構の不備なる点の故である。
  故に天願倉庫を商務部長に渡されると円滑に運ぶと思ふが。
 軍政府
  係将校と話合って見る。
 志喜屋知事
  大統領及マック将軍に民政府として感謝状を上げたいが(軍政府を通して)。
 軍政府
  クレーグ副長官と相談して返事する。
 官房長
  うるま新聞に公報を掲載すべく願出たが、公報を発行したら内容を見て貰う。
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