- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年07月09日
(昭和21年)
- 会議名
- 部長会議 1946年7月9日
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- 議事録
- 部長会議〔大東島・先島統合〕
七月九日(火)午前十時
出 席 志喜屋知事、山城、平田、仲村、當銘、玉城、比嘉、安里(工業)、大宜見、前門、護得久、当山、又吉、糸数(商務)、松岡の諸部長。
協議事項
志喜屋知事
今年十二月一ケ月分の予算及び、来年一月から三月迄で三ケ月分宛区分し一九四九年の六月分まで編成すること。
南大東の福島氏から村組織、警察組織は順調に運んで居る。七月十五日農業用燐鉱は順調に行って居る。
吾々を沖縄に帰へしてくれと。
紙幣交換及預金は終了、六月十五日より五万円の賃銀が欲しい。当地に於ける紙幣を使用させて貰いたい。
副長官は之は知事が処理すべく頼む。
ウイルソン中佐から福島氏宛。
大東に関する計画は進行中なり。大友氏に以前に民政府から行った調査員と隊長とで必要なるものを送る。
労務賃銀は指令のある迄では戦前の当地の賃銀によること。
護得久部長
新円があったら五万円を適切に使用させてよい。
志喜屋知事
大東へ軍政府から調査に行くから各部からも必要なら遣す様にと。
燐鉱は工業部でやり東京に送り東京からは商務が受取り商務は農務に渡す。
一、大東に総務を置き仲本樽金氏と渡口麗秀氏に決定した。
一、大東の官制の件。
一、用度課を財政部より商務部に移管。
一、ムレー大佐は昨日帰米された。
一、軍政府からガソリンを取って居たが民政府の分は民政府から取って使用する様にと。
松岡部長
衛生部はサプライで取り財政部の車は未だ民政府に移管されて居ない。
山城部長
文教部も然り軍政府から取って居る。
一、在日本の沖縄新民報及自由沖縄の両新聞及親切な注意をした人の手紙によると、幾つかの団体があって互に攻撃し会って居る様で。
一、疎開者を呼寄せる人々につきての対策を如何にするか。
護得久部長
戦前日本に逃げるが如く行った者は帰さない方がよい。
志喜屋知事
宮古・八重山は軍政府としては本島と統合す。
◎八重山開発につき民政府から議会に諮詢するや否や。
國場氏が宮崎に居るが沖縄(沖縄県木社)の材木が相当あるのでマッカーサー司令部と交渉して沖縄救済に送りたいと。
予算は日本から帰へる人々も入れて立てゝ貰いたい。
護得久部長
只今博物館で絵葉書のみ売出して居るが、美術工芸品も売出したら如何?
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