戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年06月21日 
(昭和21年)
会議名
部長会議 1946年6月21日 目録詳細 画像を見る
議事録
部長会議〔俸給・食糧〕
  六月二十一日(金)午前九時
  出 席 志喜屋知事、又吉、護得久、安谷屋、前門、比嘉、池原(衛生)、玉城、當銘、仲村、糸数、平田、山城、松岡、當山の諸部長。
協議事項
 志喜屋知事
  軍政府送別会は元諮詢会堂に於て二十七日午後三時より挙行す。
  明日午前九時から沖縄議会を開く。
  各部長も十分間程の方針を話されたい。
  七月一日米軍政府陸海軍移管につきて。
  委員が五部に分れて委員設置の件につき。
  民政府の俸給制度につきて。
   農民の不平
    市町村吏員と民政府職員との俸給の開きにつきての不平。部内の相当地位にある人々の開陳。部内の均衡が取れて居ないこと。
 糸数部長
 ◎有志が来て(山田政功氏)、民政府の俸給が高過ぎる。吾々は後に控へて居ると云はれたが、三〇〇円まで思ひ切って引下げたら如何。四〇〇円では生温いではないか。
 前門部長
  上まで等差を付けたら如何?
 護得久部長
  部長も課長も職員も独身者と家族を有する者との二つに分けて平等に一律に一定俸給にやって行く。
  只農民の迎合のみではいけない。
 比嘉部長
  農民は雇傭者が居ないで困って居る。
 又吉部長
  雇傭者が居ないで自分でやって行くから安全だと思ふ。
  仕事を与へ、仕事をさせると云ふ意味でやりたい。
 仲村部長
  早く決定して貰いたい。
  農業組合の金も早く手渡しされたい。失業者が多いのは民政府の行方によって決定される。
 安谷屋部長
  日給者も俸給と平衡して行きたい。最低の日給額を押へると雇主には雇い難い。
 ◎原案に賛成である。
 志喜屋知事
  職責を見て住民と共に食生活をして働きたいと云ふ意味で、三〇〇円で抑へて行きますか。
  最高は三〇〇円、最低は五〇円か六〇円で止める。
 全部長
  最高三〇〇円。最低六〇円に賛成す。
 安谷屋部長
  官業を以て事業を興したら如何?
 比嘉部長
  造林事業、土木事業等。
 松岡部長
  建築・土木で人権費が三三〇万円程。
  土木は機械化した為め人が要らない。
 護得久部長
  本日から預金支払を致します。
 志喜屋知事
  台湾の代表者平川氏から早く県民を呼んで呉れとのことですが。
 前門部長
  ペンス将校からの注意。
 ◎夜間通行を禁止せよ。
 ◎作業隊が物品を持ち帰へる時、証明書なき者は盗難と見做すと。
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