- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年06月07日
(昭和21年)
- 会議名
- 軍民連絡会議 1946年6月7日
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- 議事録
- 軍民連絡会議〔倉庫・教会・軍政府所轄替・訓辞〕
六月七日(金)午後二時四十五分
出 席 志喜屋知事、又吉、當山、大宜見、比嘉、前門、玉城、当銘、山城、仲村、平田、安谷屋、護得久、松岡の諸部長。
軍政府 ワトキンス少佐。
公用他出 糸数部長。
諮詢事項
志喜屋知事
ワトキンス少佐に対し昨日の件をお話下さい。
軍政府
糸満倉庫の件は糸満警察署がよく分る。
仲村部長
今日糸満署長から聴きました。犯人捜査中である。
軍政府
糸満署長は誰が任じたか、地区隊長か、仲村部長か。
仲村部長
私が命じた。
軍政府
地区隊長が採用した巡査によくない者が居るとの話である。然し仲村部長が満足して居ればよい。
宣教師(ポール氏)が(米人)教会のことを報告するから其材料を提出されたい。
伝道師等の俸給については米国ではやかましいから之は外の方法で考へられたい。
牧師・伝道師とはせず外の名義でやられたい。
當山部長
教化主事でやる。
軍政府
ポール氏は若い信者に呼びかけて其費を出さうとして居る。
米国の教会と沖縄の教会とを連ねればよい。
五月分の事業報告はよかった。
月報は詳細にすることは詳細にする様に。
カールエル、ワトキンス、ペンス、ハナ、ローレンス各将校は二、三週間内に帰還する。或いは七月の始めになるかも知れない。
海軍と陸軍と交代する。
戦争の始めは海陸共同でやって来たが其後二、三ケ月後には海軍の幾人かの将校で政治をやる様にとの通知を受けた。
吾々は施政すべく計画を立てた。六月には又前述と異なる様な通告を受けた。海軍のみで組織すると思ったが、又陸海軍の組織になった。
九月の末になって海軍のみで組織することになった。
九月の末から今日迄は海軍が責任を持つことになった。
今度は陸軍が軍政府を組織することになった。
皆様は陸軍の気持はよく分って居る。陸海軍は同じく米国人である。只服装の違った点のみである。
米人も沖縄人も似て居る。善悪、賢愚、精神的な者も居る。米人は入り代り立ち代りやって居るが沖縄人は常住である。
吾々は陸軍に教育をして居る。
陸軍に吾々の経験を教育して居るが吾々のした過を再びしない様にと云って居る。
軍政府としては気を払って居る。
例 沖縄人が運転手をすると廉くつく。
沖縄人を或任務につけるのが効果的である。
沖縄民政府設立につきて理想な面もある。
沖縄人自身で政府を組織するなら事情をよく知って居るから、それに対することはよく知って居る。
皆様は民政府構成につき大事である。
部長の指導によって困難を幸福に導くことが出来る。其のためには皆が研究し考へ、祈を以て民政府が円滑に力を得る様にしなければならない。
吾々は如何にしたら沖縄民政府を力強くするかを考へて居る。皆様も然うでなければならない。
知事の任命を見て吾々は貴方々々に対していくらか変更した。
例 軍政府は知事とのみ会談をした。
之から後ローレンス少佐(経済担当)も知事とのみ会談す。
此の変更は民政府を強化するためである。
之からは各部長は係将校と非公式に会談す。
正式の会談は、例、ムレー大佐から知事、知事から大宜見部長に命令す。
知事は沖縄行政の総ての行政を持って居る。
松岡部長の車の配置等も知事に代ってやる。
責任は知事にある。
軍政府副長官と知事との対立は重大な意義を有つ。
◎英国の内閣は内では議論するが国民に向っては一致したことをする。
各部長は一心になって知事を援助しなければならない。
◎如何なる件でも各部で軍政府の係将校に持って行ってはならない。
一部門が係将校に会って外の部門がいけないと云ふことは出来ない。
各部に不公平なことがあっても係将校に行って話してはならない。
各部物の争を軍政府の前でやってはいけない。
物事の変り易い時は或特種の人は優位な地位を得ることが出来る。
それは各部長が軍政府の前で喧嘩するよりはよい。何故なれば各部長の喧嘩は沖縄全体を失ふ。各部長は知事に責任を負ひ、知事は軍政府に責任を負ふのである。
法は易へることは出来る。知事に与へられた地位によれば総ての部長を代へることが出来る。
ムレー副長官は特に判然とさせる様にと云って居る。
◎もう一つの点をはっきりさせたい。
斯る悪い事情に於ては各部長、職員、住民が昼夜兼行で働くべきである。沖縄と云ふ家の屋根である貴方々々は、住民の前で心が一致しないと屋根が壊れたのと同じ其所から雨が漏る様に米軍政府にも漏れて来る。
志喜屋知事
今の訓辞に感謝します。
沖縄去っても民政府は一致して御心配かけない様にします。
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