戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年05月27日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年5月27日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔うるま新報・議会・市町村予算〕

  五月二十七日(月)午後二時
  出 席 志喜屋知事、又吉・護得久両部長
  軍政府 ワトキンス少佐。
諮詢事項
 護得久部長
  消耗品、備品の請求は財政部で纒めて要求します。
 軍政府
  出来るだけ早くやる様に。
  うるま新聞の印刷機の所有者は誰か。
 又吉部長
  島社長の話では本部の仲原氏のものと云って居る。
 軍政府
  戦争中にうるま新聞には軍政府からも付属品が行って居るが軍政府の所有となって居る。
  新らしいものを買ったとのことであるが。
  何故必要か。其代金は何処から出て来たか。
 又吉部長
  新らしい機械は宮古から買ってきた。
  羽地の上地氏のものを軍政府に引上げられて、其も持って来たらしい。
 軍政府
  職員録はどうなって居るか。
 又吉部長
  もう四、五日待って下さい。
 軍政府
  沖縄議会は年に何回と決めたか。
 志喜屋知事
  又吉部長から月一回と云はれたが。
 軍政府
  何日と決めたか。
 志喜屋知事
  各部共忙しいから四、五日や十日は出来ないと云ひましたが。
 軍政府
  戦前の職能及議員の働きは如何であったか。
 又吉部長
  戦前は予算を審議した。戦争中は殆んど形式のみで原案通りで知事の諮詢した様であった。
 軍政府
  戦前予算案を審議し得なかった時如何したのか。
 志喜屋知事
  内務省に訴へて原案執行であった。
 軍政府
  開会するとしても二日以上は出来ない。
  仲吉氏は労務部を持って居るから何かして居るだらう。
 護得久部長
  平識氏はヂープを持って居るが其ヂープを取り上げて首里市長にやった方がよい。
 軍政府
  首里市長の車は総務から財政部の用度課を通して軍政府に提出す。
  首里は糸満地区になって居るが独立して居る様に思はれる。
  C・Pを使って情報を取らしても、知らさない様にして居る。而し時折首里から糸満に行って報告して居る。
  仲吉氏が取らさないで居るのではないか。
  沖縄を日本に帰属させよとは此の仲吉氏か。
 志喜屋知事
  然うです。
 又吉部長
  市長の仕事に干渉する様だが大したことはないらしい。
 軍政府
  大東行きの船は明日出帆するが。
  知事の代理として宮古行はどうなって居るか。
 志喜屋知事
  行くべき人員は割当てゝ居る。
  船の便が分らないが糸数部長と連絡します。
  宮古は行政統合につき友人からも手紙が来るが、八重山からは何ともありませぬ。
 軍政府
  各市町村の予算は出来たか。
 又吉部長
  二十九日まで出来ます。
 護得久部長
  市町村の五月分の予算は軍政府で補助して貰いたい。
 軍政府
  市町村費は総務部から市町村に行くも、又財務部銀行から行くもよい。而して貸すことにする。
 護得久部長
  五月分のみは又吉部長から、六月以降は財務の方からやる。
 志喜屋知事
  護得久部長の云はれる通り決定した。
 又吉部長
  うるま新聞に来て居た宮古からの機械は返戻した。
  現に使用して居るのは那覇の松下印刷所のものである。二個ある。軍政府のものは使用出来ない。
 軍政府
  島氏所有の証拠があるか。
 又吉部長
  吾々の考へとしては軍政府のものと思ふ。
  新聞社の職員六十三人居るが将来六名減じたいと思ふ。
 志喜屋知事
  軍政府が陸軍になると民政府は移転する形勢はありませぬか。若し移動するならコザ方面がよい。
 軍政府
  分らない。
  陸軍の方針も未だはっきりしない。
   ※「ウルマ新報」は一九四六年五月二十六日より「うるま新報」に題字が改められている(編者注)
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