戦後初期会議録

組織名
沖縄民政府
開催日
1946年05月20日 
(昭和21年)
会議名
軍民連絡会議 1946年5月20日 目録詳細 画像を見る
議事録
軍民連絡会議〔無線・救済・軍政府所轄替え〕

  五月二十日(月)午後二時
  出 席 知事、又吉・當銘両部長、大宜見部長。
  軍政府 ワトキンス少佐。
諮詢事項
 軍政府
  来る水曜日十時四十五分からバックマスター少将へ絵の贈呈式を挙ぐることに決定した(絵は山田真山氏筆)。知事より贈呈す。
 志喜屋知事
  其時茶話会を催したいと思ふが。
 軍政府
  布哇への感謝状は。
 志喜屋知事
  英文二通を提出す(一通は布哇知事宛、一通は救済連盟会長宛)。
  キャステルキャンプに居る人々は衛生部の社会事業の職員として取扱ふ。
 大宜見部長
  サニテーションは如何なるか。
  其所の職員は軍政府直轄と云って居た。
  サニテーションの労務者は私の方で、残りは民政府にやったら。
 又吉部長
  それでよい。
 軍政府
  平田通信部長の本島及先島・大島間の無電の件は向ふにはあるが本島にはない。軍政府にはあるから軍政府の無電を借りて公式のことは出来る。発受共ワトキンス少佐を通して。
  六月一日から通貨制が施かると本島内の為替は出来る。
  社会事業救済につき一人宛の救済費が高過ぎるとローレンス少佐は心配して居るが。
  働かざる者と働く者の賃銀とが同じくなって居るが、然うなると働かない方がよいではないかと。
  一家族五人の中一人働いて居るが残りの四人を救済すると云ふことは出来ない筈だがと云って居るが。
 又吉部長
  各市町村に受救者を調べさせたが私の方復再調査をします。
 軍政府
  市町村の予算について何かないか。
 又吉部長
  調査すべく指令を出してある。
 軍政府
  護得久部長の車は車番号を代へて乗っているが。
  當銘部長へ。陸軍は馬天港に於て一〇〇人の大工を要求して居るが。
  嘉手納飛行場にも大工二〇〇人要求して居るが大工でなくても建物に経験があればよい。
  馬天は知念地区から出ると思ふが。
  嘉手納は或は石川、コザ方面から出るのではないか。
  可能性があるや否や。多過ぎるか。
 當銘部長
  多過ぎると思ひます。
 志喜屋知事
  長い期間ですか。
 軍政府
  長い間かゝると思ふ。一二、〇〇〇人のP・Wが働いて居るが之等の人々を早く帰へしたいと。それに代るに沖縄人を傭はなければならない。
  軍政府から早くP・Wを帰へしてくれと云ったら陸軍側では軍政府は労働者を補給してくれないから帰へすわけにはいかないと云って居る。
  軍政府としては早く建物を造らして居らしたいと思ふが而し建物は後廻はししてP・Wを帰へして軍作業に住民を当らしめ、而して陸軍によい印象を与へさせたら如何?
 又吉部長
  平識氏なる者が那覇から来て勝手に労務者を募集して行くが、それを援助する者は仲吉氏である。
  五千人を募集して居る。
 軍政府
  嘉手納への二〇〇人は来週月曜日まで回答されたい。
  明朝将校が當銘部長と面会に来る。
 軍政府
  官房の用度課はどうなったか。
 志喜屋知事
  人物を探しつゝあります。
 又吉部長
  労務者は中央で統一しなければならない。
  八月から食糧が激減するから其準備のため増産にも調整しなければならない。
 軍政府
 ◎軍政府は海軍から陸軍に移る。之は多分七月一日からだらう。
 ◎本日之が公表をされた。
  陸軍が軍政府の責任で将校も全部陸軍になる。
  私(ワトキンス少佐)が居る中に沖縄建設に力を入れたが其理由が分かるだらう。
  陸軍は沖縄をよく知らないから、沖縄政府を作り上げて沖縄を知らしめる様にする。
  之迄で早く早くと急がしたが其理由が分かるだらう。
 志喜屋知事
  帰国しても御援助を乞ふ。
 又吉部長
  陸軍に引継ぐ時よく沖縄を理解させて当局者を指導してくれる様にと。
 軍政府
  引継ぎする迄で金融の強化をやる様に。
 志喜屋知事
  陸軍になっても政府の組織は変更はないだらうか。
 軍政府
  変化はないと思ふが。日本も比島も陸軍がやって居るから変化はないだらう。
  久米島等との連絡は如何なって居るか。
 志喜屋知事
  漁船等でやって居る。
 玉城部長
  津堅・久高は漁場地であるから早く移動させて貰いたい。
 軍政府
  明朝返事す。
 志喜屋知事
  金武の十四部隊の跡に宜野座の倉庫を移したいが。
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