- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年04月30日
(昭和21年)
- 会議名
- 知事・議員懇談会 1946年4月30日
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- 議事録
- 知事・議員懇談会
四月三十日(火)午前十一時。
志喜屋知事と沖縄議員との懇談会。
議員側 新垣議長、伊礼、仲宗根、新垣金造の諸議員。
協議事項
新垣議長
前回の議員補欠選挙をした時総選挙を希望したが出来ず、補欠になった。
補欠は県会議員でやることになった。
一、諮詢会に結果を報告したら変更になったが其のいきさつを伺ひたい。
二、県会を早く招集して知事の施政方針を聞きそれに協力したい。
知事
補欠は県議でやるか、諮詢会でやるか、軍政府が任命するかを吾々は県議でやる方がよいと思った。
其結果軍政府に報告したら翌日四人の県議であった部長を除いて外の委員で審議をせよと、而して三人以上の委員が不可と云った時は諮詢会で推薦せよとの事であった。
九人の委員で審議をしたが二、三人の方々から始めから不可と云ったから私は人物を爼上に置いて論議するのはいけないと思って投票にした。
皆様も最と考ふべき所はなかったか、吾々も繰返し遺憾に思ふ点もあります。
之を水に流して今後は御援助をお願ひします。
仲宗根議員
推薦入替のあった日、委員に議員の入替のあった事を聞いた。
諮詢会が推薦やり方を日時を延期してやったらと思って居る。之が遺憾である。
四人の部長とも一応話合があったらと思って居る。
変更ある地区の議員の時は其議員に聞かれたらと。
委員が余り急ぎ過ぎたと思った。
其際の空気は延期する事が出来なかったか。
志喜屋知事
四人の部長県議が居るのに此の七人は良きや否やと訊かなかったが。
お詫をする。
比嘉部長
七名は旧制度で補充地区よりする事になった。
個人の喧嘩がしばしば諮詢会に出されて居るので推薦の任に当らなかったから知事の云ふ通り話さなかった。
仲宗根議員
四人の部長から推薦した人を何放話さなかったかと云はれたが此の七人は十七人の県議が皆一致したのであったから、そんな事を考へなかった。
伊礼議員
県議に推薦された人を其儘通ると思った。
當山議員
私も可然思った。
而し軍政府としては、諮詢会にかけるのが当然である。
私が此会合を願った時知事はトラブルが起ると責任を負ふかと云はれたが今後は互に和をもってやりたい。
志喜屋知事
此推薦の時委員と県議でやればよかったがと思ふ。
新垣議長
此出発点に斯る事が起ったのは遺憾であると思ふ。
今後知事の云ふ通り禍を転じて福となすと云ふ事である。
委員と民意が平素から一致して居たか否かである。
執行機関が議員を推薦する事は自分の擁護である。
政策はないのに政党組織になる様に考へられる。
委員が県議のみに任さるゝや否やを考へるべきであった。
村長は自分の親類や部落等より職員を出す。
又配給面に於ても然り。
民衆を生して行く所に目標はある。
末端まで軍政府の命だ命だと住民をおびやかして居る様だ。
出発点に於て斯る事が起った事は残念だが而し禍を転じて福となすに心強くした。
志喜屋知事
軍政府を傘に着てしない様勇気を起して邁進します。
議長
御話合の出来る事は御話合する事を願ひたい。
県会を招集して知事の方針を承りたい。
志喜屋知事
議員の名称は如何するか。
新垣議員
民政議員としたら如何。
知事
よろしい。
補充も五月二日まで揃ふから、各部長とも審議して後早く開きたい。
仲宗根議員
内閣や知事が代ると直ちに方針を話して居る。故に一日とも早く方向を示して貰いたい。
各部長からも概略の方針を示して貰いたい。
以上お願ひします。
比嘉委員
議員に委員を置いて各部と連絡をしたいとの意向に諮詢委員も賛成の様であったが議員を常任の形に置いて、各部でやって居る仕事を客観的に相談的にするとよい性格を持った沖縄建設のためよいと思ふ。
當山委員
比嘉委員の意向に賛成。
常置委員に対して研究して実現して貰いたい。
仲宗根議員
私も賛成。
志喜屋知事
与党の積りでやって貰いたい。
當山委員
委員制は小舅うるさくされない様に願ひます。
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