- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年04月26日
(昭和21年)
- 会議名
- 軍民協議会 1946年4月26日
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- 議事録
- 軍民協議会 〔最後の諮詢会々議〕
四月二十六日(金)午后一時三十分。
出席 志喜屋知事、又吉、山城、安谷屋、仲宗根、當銘、玉城、糸数、平田、大宜見、當山、前門、比嘉、仲村、松岡の諸部長。
協議事項
志喜屋知事
ワイズ将校の話であるが、日給最低四円八十銭、最高一〇円まで。
俸給最低一二〇円で最高部長七〇〇円。
諮詢会の代りに県議に移り諮詢会は今日限り解消す。
護得久委員
名称の件であるが民政府財政部と云ふや否や。
軍政府 ワッキンス少佐。
諮詢事項
(本日の会議を以て諮詢会最後の会議)。
軍政府
之が諮詢会の最後の会議である。
諮詢会の立場は軍政府の歴史的重要な立場であった。
沖縄の民治総べてにつきて其機能を充分発揮することを認めて居る。其資料たるや何等の欠点なきことを諮詢された。感謝して居ます。
軍政府が沖縄の計画したことに対し諮詢会の答申によって遺憾なく用意周到であったから此の計画が成立した。
軍政府として執行機関として警察、衛生、教育を移したが、成績がよかったので蕾をなして凡てが執行機関に移された。
諮詢会の総務、法務、財務が与へた資料は金融経済の運用上軍政府に与へた諮詢が立派な案が出来て居たと思ふ。
社会救済部から提出した表等は将校が見て深い研究されて居た事が認識された。
各部からの答申統計等がムーレー大佐によい感を与へた為め各将校が分担すべき仕事までも沖縄人に移された。
委員が認められ機構が移された事は軍政府の信頼による事である。委員は名誉とすべきである。
委員の仕事を遂行するに部長の下に偉い人が居る其人々に感謝して貰いたい。
副長官及び他の将校から感謝の意を表したい。
米軍の将校の中では沖縄人の政治を沖縄人に任してよいと信じた将校も居る。
沖縄人自ら政治行政経済を充分行ふ事が出来ると云ふ事を知った人は少かった。
沖縄人を認めた人に対して各部が成績を挙げて来たから沖縄人で出来ると云ふ事が立証された。
昨日ペンス将校が私の言に反対したが政治機構のプラグラムが出来たと云ふ意味であった。
諮詢会始めの方針と今日とは正反対の方針で来た。
昨年の六、七、八月迄は住民の地区も北部の小範囲に押し込められた。
当時の軍政府の考へ方と今日の沖縄の姿とは非常な差を以て現はれて来た。
歴史家、国際的知識家、政治家等の沖縄観は将来に於て大した変化は来ないだらうと見て居る。
二つの沖縄観がある。
一は沖縄に変化はない。歴史家、政治家、国際法家。
二は沖縄には変化が来る。沖縄は変化がないと云ふ方が当って居る。歴史家から見ると太陽の下には何も新らしいものはない。歴史家は物は新らしいものはないと考へる。新らしいものは以前にあったものである。政治家は将来に起る事実が頭に浮んで来る。国際関係の研究者は国際間の小さい起りが頭に浮んで来る。
国際関係は「ケラマは見えるがマツゲは見えない」意で遠い所のものが見えるから間違はない。
昨年七月以前沖縄人が北部に居た時何時までも変化はないと云った人はユトピア政治を施行せんとした考である。
軍政府の或将校の如きは考へのつかない特殊な政治を行ふと云ふ人が居るが此の人々の心意が分らない。
以前に知事に五人制をしたいとしたが東洋で此の政治は違ふだらう。
責任は一人で負はなければならない。如何なる時代に於ても連帯責任は成功しない。
諮詢会で議論した。諮詢会の後に県会を組織して政冶機構を作る準備であった。
昨年の八、九月頃の計画はムーレー大佐は承認しなかった。
昨年のやり方は地理的を考へずに市会や市長を選んだ。
住民が南へ移動した為め、元の村に還った為め、昨年の方針は変更された。
昨年の組織でやると経験もなく変形的な機構に置かれたのであるが今は経験のある方針に置かれた。
一、昨年の組織に反対した理由は新らしい政治機構であったから反対をした。それよりも馴れた機構がよいからである。
二、元の法律を其儘利用出来るので米軍政府で作らなくてもよい。
米国人は法律を作りたがる人種だが法律を作るに沖縄の歴史を知らないから作り得ない。
三、昔の機構を全部が分って居ないから、危険を帯び、今日の機構は皆が知って居るから危険に及ばない。
現在の機構はムーレー大佐から住民まで伝達する事が出来る。
言論の自由は敵国を除く。
米国の気質人情をよく知って居る。
私はあまり荒っぽい猫ではないが外にはそんな猫があるかも知れない。
平和会議が済むまでは(解決するまでは)米国は猫で沖縄は鼠であるから其事を心得て置く。
猫が鼠に躍び付かない様にする機構は今の機構が安全である。
沖縄の将来が如何なるか。
一は米国に帰属するか。
二は国際管理になるか。
三は日本に帰へるか。
此の三の中孰れかが可能性がある。
之を考へる時今の機構が安全性が高い。
日本も沖縄も同じ政治機構だが私は完全とは思はない。
世界如何なる国も完全の機構はない。人間自ら完全な人間は居ないから。
此の機構は徐々に改革される事は間違はない。
世界の何国でも多少の変化は来るが英国政治がよいと、又英国では米国の政治がよいと云ふが変更したいと云ふのが政治研究家の人情である。
自分の政治よりも他国のものがよく見えるから機構は必ず一つがよいと云ふものではない。幸福にするものは米英でも同じである。故に英国がよい米国がよいと断定は出来ない。
私の意見としては三つの政治形体が理想と思ふ。
米、英、スイス。
此三つの各異った機構である。三つは各国の体験と教育によって成り上った。斯る政治機構を変更せんとする時戦争後は悪い時機である。
敗戦国民としては国民が落付きのない時であるから機構を変へる事は危険性がある。
機構組織を変へるには教育経済等が落付いた時でなければならないと思ふ。
若し変へるなら急激はいけない。一歩々々変へると安全率が高い。
機構を変へる必要があれば沖縄人の意志により外からのモードック中佐やストリート少佐やワッキンス少佐等の意志で変へるのではない。平和会議が済んで猫が居なくなってから変更した方がよい。
変更するにしても急激でなく一足々々行くやうに。
沖縄歴史を基礎にして変へる事。
諸外国からの返事のみの手紙は沖縄の赤十字を経由して出す事が出来る。
沖縄人事録は如何なったか。
又吉委員
忙しくて中止したが又始めます。
人事録よりは職員録がよいと思ふ。
軍政府
金武の工作隊が移るが其設備を使用する方法を考へて置く事。
松岡委員
明朝調査に行ったら如何。
軍政府
ムーレー大佐の諮詢に答へる事は一昨二十四日知事辞令交付の日限りであった。
各部の将校に対する諮詢も二十四日までゞあった。
昨日より知事からムーレー大佐の諮詢に対し答申す。
各部長は知事に答申すればよい。
山城部長もハナ少佐の諮詢に答へないでよい。
山城部長がハナ少佐に諮詢す。
山城部長とハナ少佐は事務的の連絡のみである。
ハナ少佐がムーレーに答へる責任がある。
民政府に対する諮詢はワッキンス少佐である。
知事に命令権あるのはムーレー大佐一人である。
例、大宜見部長に命令を出すのは只一人知事である。
ローレンス少佐が安谷屋部長に命令を出す事は出来ない。
若し命令せんとする時はムーレー大佐に諮詢してムーレー大佐から知事に来て知事から安谷屋部長に命令す。
山城部長からハナ少佐に公式の要求は出来ない。
知事を通じてムーレー大佐に進言してハナ少佐に行くのである。
非公式の打合せはかまはないが公式の時は一定の順序を経由しなければならない。
ハナ少佐と山城部長との間に摩擦が起った場合はハナ少佐が上司に行った時は山城部長が首になる事は知事の権限である。
部長の任命に知事が絶対的権限を有して居る。
而し軍政府と一応連絡を取らなければならない。
ムーレー大佐は今出来上った機構を壊す事はしない。山城部長も首にはならないだらう。
民政府の機構は軍政府のやるべき仕事を緩和した。
価値ある機構であるから簡単には片付けないだらう。
仲村委員
私の辞令は憲兵司令官から出て居るが知事に任命権がある時如何なるか。
外の部長はムーレー大佐から出て居るが。
志喜屋知事
辞令を用ひずして元の部長が部長になる(之が辞令に代る)。
軍政府
二部門が未だ出来て居ないが、而し此の二部門も一昨日以前に日付を以て出したら如何。
志喜屋知事
それでよろしい。
仲村委員
各官公吏に諭告を出さなければならないと思ふが。
仲宗根委員
今日の会合で問題を出しても諮詢会としての会議はどうなるか。
軍政府
諮詢会の会議は消滅した。
今後はワッキンス少佐はムーレー大佐の代理として知事と会見す。
知事の関係した部長は呼んでよい。
今までは軍政府から命令を出して会議の時は会議場に来ない様にと云ったが此度は知事の命である。
知事
山田様の絵はどうなったか。
當山委員
庭が出来上るまでは絵も出来る。
仲宗根委員
県会は復活する通知が出るか。
軍政府
知事新任式以前の日付で辞令が出る。
補欠議員は軍政府から辞令を出す。
県会議員は延長であるから新しい欠員迄に指令す。
今日が諮詢会の終りである。数ケ月愉快な感じでやって来た。
此の集りで愉快な有益な事を教へてくれて有難う。
今日まで交って一心になって再建のため一致して来た。
私(ワッキンス少佐)は沖縄に来て満一ケ年二ケ月になる沖縄は愉快な幸福な家である。
沖縄に滞在する間交際を続けたい。過去の精神を基礎に於て。
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