- 組織名
- 沖縄民政府
- 開催日
- 1946年04月25日
(昭和21年)
- 会議名
- 知事就任式 1946年4月25日
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- 議事録
- 知事就任式
四月二十五日。
本日各市町村長、地方総務、本島の識者知名の士(知事選挙に参与せし人々)、ハイスクール校長、各警察署長、石川初等学校長、及諮詢会委員、各部課長以上の人々、ウルマ新報社等参列者約二百五十人程。
午前十時より於食堂(東恩納)知事就任式を挙行す。
軍政府側 ワッキンス少佐(軍政府総務部長)、カールドウェル少佐(副長官顧問)、ローレンス少佐(経済部担当)、ハナ少佐(教育部担当)、ハーバー中佐(弁護士、副長官書記官長)、ペンス中佐(法務部係将校)其外数名。
又吉総務部長
挨拶の要旨。
本日知事の就任と倶に沖縄民政府の発足を悦ぶ。
昨二十四日午前九時から於軍政本部知事の新任式が厳粛に挙行された。
沖縄開闢以来始めて沖縄人の知事が出た事を悦ぶ。
去年八月諮詢会設立以来軍政府副長官ムーレー大佐を始め各将校の指導と援助によりよき生活をなしつゝある事に感謝感激して居る。
今後は益々軍政府の御指導を仰ぎ住民は新知事と協力して本島の建設に邁進したい。
軍政府・総務部長ワッキンス少佐挨拶。
挨拶の要旨。
此の機会は私の光栄とし誇とする寸間である。
今日は沖縄歴史に重要な日なる事を念頭におかれたい。
今日が軍政府の仕事が沖縄民政府・住民に移る一歩である。
今日は軍政府も沖縄民政府・住民も誇を持つべき日である。
其れには三つの理由がある。
其の三つの理由を満足とし光栄とす。
第一に今日は沖縄が米軍上陸以来政治機構がなかったが、政治機構が出来た其一日である。
第二に今日は米軍政府が協力して組織し完備して発表した日である。
第三に此政治機構を作るに当り沖縄の知識階級を集めて出来上った日である。
第一の事を検討したい。
過去数年に於ける政治機構を検討したい。
此の機構を如何にすればよいかと研究した。
第一歩として上陸して始めたのが班長である。
次に部落に於て区長、村長を任命した。
次に地区の役職員が組織された。
班長、其他の役職員を任命して結果を見た。
班長等の役職員が任務を全うするのを見たので、諮詢会があり、之が軍政府と協力をされた。
之が去年八月二十日に諮詢会が設けられて副長官から各部の担当を命ぜられた。
其次に村長を任命した。
次に中央執行機関として各部が確立された。
今日まで軍政府が見て沖縄人が充分責任を全うし得ると見たために此所に至った。
住民に対する信頼が厚いから民政府知事を任命した。
沖縄民政府知事を任命するに当り三人を推薦してその中から決定した。
此の推薦に於て最高点を得、又人格者なるを以て副長官から任命された。
沖縄の政治機構・行政機構が完備した。
第二を検討す。
軍政府の計画した目的が完備した。
他国に占領されても此の姿になったかも知れないが米国も目の当りを見た。
外国が占領されても此の姿になり居ったかもしれないが米国として再建にやって居る事を知るだらう。
席上の人々に完備するに米軍将校と協力された。
此のハーバー司令官には此の感じを以て居る。宮古長として居る。
此に列席して居るカールエル少佐は最初から計画に当った。
ローレンス少佐は金融経済を担当し昼夜兼行再建に尽した。
ペンス将校は司法に関する諸問題を研究して九、四五〇五〇に進んで居る。
ハナ少佐は教育の再建をされた。
其他の将校も再興を分担して来、又米国内にも多く居る。
以上の方々が再建に当って居るのを米国としても喜んで居る。
私は斯る人々と交はるのを光栄として居る。
第三を検討します。
再建のため軍政府将校は沖縄人の協力と知識を得た。
此の列席の人々は沖縄を担って立つ人々である。
皆が協力して感謝の意を表はしたいが暇(時間の余裕がない意ならん)がないから又吉様に感謝す。
住民から絶対信頼を受け軍政府からも信頼を受けた志喜屋知事である。
知事として任命された志喜屋様は軍将校からも信頼されて居る。
知事の職責又位置に適任なる事を副長官に上げた。
約一世紀前に政治家学者が九つの法則を示した。
一、政治運行に当り其人の所謂知能が研かれて居る二、其人が人民から敬意を表されて居るか。
三、家庭的に如何なる人か。
四、官庁、及公職に於て部、課長から信頼があるか。
五、自分の地位に対し誇を有つや否や。
六、自分の地位の下の人から父として仰がれるか。
七、産業を開発し得るや否や。
八、外国からの知らない人に対し友情的であるか否か。
九、住民を救済する情を有って居るか否か。
以上九つの教へは孔子の教へである。
九要素が完備して居る事を副司令官は信じて志喜屋様を知事に任命した。
今日は大切を日であり歴史的日である。
今から私は長官を代理して紹介せんとするのが人格を備へた知事である。
皆様が祝意を表して長官から任命された悦びと祝意を表すべきである。
沖縄人でより高潔なる人を知事として任命された事は吾々の誇りとし悦びとすべきである。
米軍将校にも敬意を表し米国政府に対しても感謝と敬意を表したい。
軍政府長官を代表し知事を紹介する事を光栄とす。
(軍政府長官代理ワッキンス少佐、志喜屋知事と此所に堅く握手す)。
知事挨拶
挨拶要旨。
浅学菲才不徳の私が重大なる職に当る事は戦々競々として薄氷を踏む感がする。
然し御下命になった以上は軍政府の政策に基準し各位の御指導御鞭達を賜はり粉骨砕身沖縄建設に邁進す。
一千年の日月を要して築かれた文化は今時の戦に一朝にして烏有に帰した。
之を世界の進運に遅れない様にするには容易の事ではない。
指導者の地位に在る各位に所感の一端を申上げたいと存じます。
復興事業は共同作業に俟たなければならない。
西諺に総体でやる仕事は特に力を入れる人が無いと之は沖縄人の欠点を指摘された感がある。
沖縄建設作業は同胞全部が恰も一人でやると云ふ責任を以てしなければならない。
指導者たる者は只権力の作用を以て目的を達成し得ると考へるのは間違で同じ政策を行ふにも民心を萎縮せしむるのと、感激を以て協力せしむるのとは千里の差があると云ふ事に留意しなければならない。
局に当る者は常に民衆に先んじて憂へ、民衆に後れて楽しむと云ふ謙虚な精神を以て親切に且つ能率的にやったならば民衆の態度は求めずして協力する事になる。
要するに政治の要諦は声なきに聴き、形なきに見る所にある。
易経に「正しけれど危し」と云ふ事がある。之は考へはいくら正しくても、それを行ふに時と方法を得なければ却而害があると云ふ事を云ったのである。
現在の吾々が特に味ふべき言葉である。
米国軍政府の御厚意を感謝しつゝ米国文明の利器を体得して戦前の沖縄よりもよりよき沖縄を建設し沖縄の黄金時代を吾々の手によって出現せしむる様努力しなければならないと思ふ。
軍政府ハーバー中佐挨拶。
挨拶の要旨。
志喜屋知事及満場の諸君。
私は志喜屋先生が知事に任命された事を敬祝すると同時に又島民に敬祝の意を表。
残念ながら私は自治機関の構成に与らなかったが而し宮古に於てやって来た。
米国の見地から沖縄を話したい。日本的ではない。
米国では多数の人々が一緒に議すると。
米国では一つの件を一所に考へ一つの国に適用するのみでなく、各州にも通用する。
日本は一つの高い所から問題を決めて例へば東京できめてやると。
米国では一人々々で考へて民衆のためにして居る。
各員の分野を守って政府に協力して行く所に皆の幸福がある。
私は個人として又軍政府として志喜屋知事の考に協力したい。
お目出度う存じます。
軍政府・カールドウェル少佐(副司令官)挨拶。
挨拶の要旨。
志喜屋知事及満場の皆様。
米軍政府は志喜屋様が人格、識見の高い人として知事に任命した事を光栄とす。故に皆様及志喜屋様に御祝を申し上ぐ。
私が志喜屋知事に申し上げたい事は又彼自身も申し度い事と思ふ。
一人の人が地位に就く時、浮ぶ事は孰れが良いか否かを念頭にある。志喜屋知事は皆のよき下僕として察して居る。而し皆の幸福のために考へるが、皆は又志喜屋知事を敬服しなければならない。
軍政府・ローレンス少佐(経済産業方面の係将校)挨拶。
満場の皆様。
私は志喜屋知事が脳力を発揮して貰いたい。
私が愉快に思った事は台湾に云った時も人望が高いと云った事である。
台湾の話を通して考へても志喜屋知事に沖縄を任し得る人と思った。
近き将来に黄金時代になる事を希望す。
軍政府・ハレ少佐(教育係将校)
ワッキンス少佐が沖縄の歴史を話したが私も沖縄の過去を考へたい。
昨年の今沖縄の誰も米国の誰も今日の様に再建を思はなかったらう。
今日事実として建設された事を信ずるだらう。
私は志喜屋知事の指導の下に建設されて行く事を信ず。
近き将来米人と沖縄人と親密な幸福の出来るのを望む。
一年前米国人は沖縄を知らなかった。今は数千の米国人が理解し忘れる事が出来ない様になった。少数の将校数百の兵士は沖縄を知り忘れる事が出来ない志喜屋知事の組織する政治が幸福になり米国と沖縄とを結びつくを願ふ。
両国の繁栄は誠によい事である。
軍政府・ペンス将校(弁護士・法務係将校)
此瞬間が最も光栄な時期である。
他の将校も此瞬間を待って居ただらう。
ワッキンス少佐及外の人が既に話した。
今氏名を挙げた将校は一月に帰国の時であった。
(カールドウェル、ワッキンス、ローレンス、ハナ、四氏)
帰国して家族と楽しみたかった、而し建設のために残ったのである。
将校も居ない。将校も志喜屋知事と協力する事を喜んで居る。
ワッキンス少佐の云ったことに同意の出来ないのがある。
ワッキンス少佐の言に知事選挙が行政機構を、知事任命が沖縄の出発である。
法務の将校として志喜屋知事に申すのは法務も之からやって行く。
法務の仕方が立派に行くやう願ふ。
外の将校も之れからそれぞれの仕事が出発す。
来年の四月にはハナ少佐が言はれた様に沖縄が立派になると思ふ。
志喜屋知事を得た事を御祝ひ申す。
来賓挨拶。
當間那覇市長
昨日志喜屋様が輿望を担ひ軍政府から知事に任命された事を悦ぶ。
志喜屋様が知事になった事は県民に行政が移る事で県民も悦ぶのである。
私はワッキンス少佐の挨拶に其感を深くした。
昨年六月から収容された、土地、住、衣を考へた場合暗憺たる事があった。
此の建設は吾々の手によってなされる。何時来るかと思った。
互に粉骨砕身を以てやる事を市町村長会で誓った。
県民と共に志喜屋知事が努力する事を信ず。私共の責任の充分を知って居る。
協力して進みたい。
新垣県会議長祝辞。
志喜屋知事は身命を惜しまず進む。民心安定の曙光である。
今日あるは志喜屋様が委員としてやった事。
山城文教部長挨拶。
数ヶ月間に再建が進められて元の姿に還へる事は感慨無量である。
志喜屋様が知事になられた事は志喜屋様が教育家として功績、社会に与へた功績を以て今日然らしめたと思ふ。
復興事業は住民全部が精神的に協同一致を以て当らなければならない。
吾々は志喜屋知事と協力して復興に邁進したい。
宜野座西平署長祝辞。
志喜屋様が知事に任命された事は吾々住民の誇りである。
吾々は志喜屋知事を仰いで沖縄再建のため邁進する事を誓ふのである。
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