戦後初期会議録

組織名
宮古群島議会
開催日
1951年06月22日 
(昭和26年)
会議名
第5回宮古群島議会(臨時会)[2] 合同研究会
議事録
 一九五一年六月二十二日
 (金曜日)(午前十一時二十八分)
◎議長(玉城玄教君) 只今から合同研究会を開会致します。
 第一に会議規則を見て下さい。
 今までの会議規則と変った点だけを説明して下さい。
  (伊川総務課長説明す。)
○副知事(東風平惠令君) 去る二日の知事会談でどうしても市町村制は改正しなければならないと云うことになりまして、各市町村の助役その他の係の者を集めて貰ってどこをどういう風に改正すべきかについて審議しまして、こういう案をこしらえました。議会の審議により改正しようと思って居りますからどうぞ宜しく御願い致します。
○議長(玉城玄教君) 休会致します。(午後零時二十分)
○議長(玉城玄教君) 開会します。(午後三時三十分)
 定例会に関する条例を見て下さい。
◎下地敏之君 定例会の招集日を何日と決定した方がよいと思う。
○副知事(東風平惠令君) 各月の十五日にしたらどうですか。
 (「賛成」の声あり)
 尚公休日の場合は一日繰下げるものとするを入れて下さい。
◎議長(玉城玄教君) 追加予算について見て下さい。
◎砂川玄仁君 実は私本会議でやっていきたいと思って居りましたが本会議同様に記録を残して下さい。
 歳出経常部の第六項過年度支出である三一九、七一九円を予算に組んであるが、これはどうしたのか。今迄は南静園の食糧費は復興会計より軍政府に支出して貰うよう申請して居ったが何故一般経常予算に組んであるのか。
○財政部長(島田文雄君) 従来までは復興予算として取扱っていたが、昨年十月からは食糧会社から直接軍政府に支払うようになっている。そういうように五月三十一日迄は支払って居りましたが一九五一年六月一日からは未払になっているので何等かの方法で支払いたいと思って居りました。そこに一四一万余の雑入がありましたのでこれを繰入れたく提案したわけです。
 尚配給品も大部高くなっている関係上支払うことも出来ず、又復興費から貰う積りでしたがとうとう認可にならないようになりました。実は四月三十日で全部軍関係の支出面は全部支払って居ったので四月二十八日頃申請しました。それが締切まで届出ないらしくこうなったわけです。
◎議長(玉城玄教君) それまで申請しなかったといっても良いので、それはつまり職務怠慢で軍が削るのは当然です。尚食糧の配給値が上ったとかいうのは理由にはならないでせう。
◎砂川玄仁君 今までの取扱はどうなっていたのか。
○副知事(東風平惠令君) 今迄今年の三月までは喜久川君が取扱って居ったが、今年の四月からは大里君がやって居りますので予算関係には不充分でした。
◎議長(玉城玄教君) 将来もあることだが又値上りになれば税負担で持つのか。
○財政部長(島田文雄君) 若し値上りとなれば考慮して善処し度いと考えて居ります。
◎砂川玄仁君 臨時部の第三項南静園費第六目「食糧購入費一六二万六千余」は何時の分か。
○予算課長(波平惠喜君) 今年の分です。
◎砂川玄仁君 話によると、軍政府からのすべての復興費は一般会計を通って支出すると聞いているがその通りか。
○副知事(東風平惠令君) その通りである。
◎砂川玄仁君 その通りであれば、総ての予算の計上には議会の意見を尊重してもらいたい。
○財政部長(島田文雄君) 尚南静園の食糧費関係については、その責任者である課長に連絡しませう。
  (復興会計課長出席す。)
◎議長(玉城玄教君) それでは復興会計課長に御尋ね致しますが南静園の食糧費と復興費関係ですが、こちらの食糧会社と沖縄の食糧会社、復興会計の関係支払はどうなっているか。
○復興会計課長(長濱惠起君) 代金の支払ひは全然関係ありません。
◎砂川玄仁君 大体食糧費関係の復興費の予算はどの位ありますか。
○復興会計課長(長濱惠起君) 食糧費の予算は八四七、八三〇円で南静園の三五六人分です。
◎砂川玄仁君 五〇年度に於ける食糧購入総額はいくらあったか又何時頃群島政府を通じて示達があったか。
○復興会計課長(長濱惠起君) 書類を持って来てありませんので購入費総額ははっきり分りませんが尚示達があったのは去年の九月頃でした。
○副知事(東風平惠令君) 結局こうなった理由は、前任者の引継者が完全でなかったことや、食糧品を受取って之を予算差引してなかったことになるわけです。
◎砂川玄仁君 兎に角送付月日も明白だし、受領人も解って居り乍ら、それを受領しないとすれば相互の仕事上むつかしいことになりはしないかと思う。それで議会としても意見を尊重してもらいたいと陳情でもしませう。
◎議長(玉城玄教君) それではその位にして今日はこれで閉じませう。(午後五時四十分)
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